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2003のわたくしごと


アレま!(°°;

 マルチアンプ、クロス、チャンネル、といったようなキーワードでweb検索を試みていたところ、偶然かようなページに行き当たってしまった(汗。

 なんと、↓でご披露したスピーカーセッティング、かのノーチラスの指定セッティング法だったのですねぇ〜。迂闊にも気付かなかったけど、そういえば雑誌で見るノーチラスの写真、そういう角度で置いてあるわなあ。この筋の方々にはまったく既知のセッティングだったのですね。ちとガッカリ。ま、私のスピーカーも同じB&Wですから(値段は天と地ほど開きがあるが(^^;)、この配置でよく聞こえるのも自然なことかもしれませんね。あ、念のために申し添えておきますと、このノーチラスというのは一般的な800シリーズではなくて、あのデンデンムシのお化けみたいな鸚鵡貝、オリジナルノーチラスのことです。
 というわけで、こうなるともう「眉に唾」「あやしい」などと卑下する必要はありませんね。途端に権威づけられてしまった感じだ…。

 しかし、図に示されている「完全な球面波」という説明には疑問が残ります。本当に球面波なのであれば、スピーカーの向きはあまり関係ないのではないか?…ま、無指向性スピーカーというわけではないので、そういったことで角度が意味を持つのでしょうか。それでももうひとつ納得がいかない。B&W社はどんなリクツを持っているのか、興味が湧きます。
 個人的には、スピーカーから放出される音波が平面波に近いほどこのセッティングが意味を持ちそうな気がしてきたところです。そうすれば、45-45方式ステレオピックアップの動作原理のごとく、双方の波が互いを邪魔しない訳で、たとえ逆相の音波どうしであろうとも、いっさい打ち消し合うことなく有効に空気を振動させる…このセッティングのキモはこういったところなのではないか……ナーンテ、怪説ですかネー(^^;。

2003.10


あやしいスピーカーセッティングの話

 まずは、眉に適量、唾のご用意を…(^^;。

 たまたま覗いたWeb上某所、スピーカーのセッティングの話題がたけなわでした。常識から考えるとかなり「内振り」にした状態で、非常にリアルな音場が出現するポイントがあるとのこと。この「ポイント」というのは聴取位置のことではなくて、スピーカーの間隔・角度の最適状態のことです。ちゃんとピントが合うと、部屋のどこで聴いてもイイ感じに聞こえる、と。

 私にもちょっと思い当たることがありました。だいぶ前に似たようなことを試していたのです。
 そのときの私の発想の大元は、他でもないDCマイクのカプセル配置。音場を正しく捕えるためには、2つのマイクカプセルは1点で直交配置しなければならない……のであるなら、再生系でも2つのスピーカーの“音軸”は直交させるべきなのではないのか、というわけです。そう、そのとき試したスピーカー配置というのは、左右それぞれ正面から45°内側に向けて、音軸が直交するようにしたものでした(上述の“某所”の話は、特に「直交」を指定していたわけではない)。
 マイクカプセルの直交配置は、金田式DCマイクがオリジナルというわけでもありません。ショップスにも、2つのマイクカプセルを振動板位置で上下に重ねて軸を直交させて保持できる器具が用意されているようですし、他社にも同様のカプセル配置のワンポイントステレオマイクがあります。一般に「X-Y方式」と呼ばれる形式です。
 では、そうして録った音を再生するときのスピーカーは、どのように置くのが“正しい”のか。金田氏のリスニングルームの写真を見ると、天井の低音ホーン以外のスピーカーは普通に正面に向けられているようです。録った「直交する音場ベクトル」を自室に解放するのに、この向きでいいのか? という疑問が生まれました。直交するベクトルというのには、数学的な美しさが感じられますが、再生側との辻褄はどうなるのでしょう。私にはうまい説明が思いつかない。かといって、スピーカーの軸を直交させるのが正しい、という論理も見出せないのではありますが。

 ともあれ、遊び半分、直交配置を実験してみました。水平方向の音の拡がりは案の定やや抑えられるものの、ちょっと空間のふくらみを感じさせる鳴り方で悪くない、という印象でした。しかし、是が非でもこれでなくては、というほどのこともないように思われ、それよかやっぱりこれじゃ見た目がヘンだよねぇ…(--;、と、すぐ普通の配置に戻してしまった。以来長らくこの記憶は意識に上ることなく時が過ぎておりました。

 というわけで、かつての試行のやり直しです。スピーカー間を結ぶ線と軸で直角二等辺三角形ができるように、しばしのカット・アンド・トライ。と、…
 おほっ、音が豊かに響く! 空気感のようなものが生まれ、心なしか音量が上がったように聞こえるではないか。しかも聴取位置を変えても、その聞こえ方はあまり変わらない。だいぶ横のほうにそれた位置でも、“空気感”がちゃんと保たれている感じ…

 狭い部屋ゆえスピーカーの間隔はおおよそ1m、内振りなのでトゥイーターどうしの間だとさらに狭くて82cm。聴取位置はだいたい1.5〜2.5m離れたあたり。正面からだと、スピーカーはまったくあさってのほうを向いていますから、指向特性で高域が落ちるはずです。が、全然気になりません。前述のようなふわっと湧き出すような空気感が帳消しにしてくれる。

 ともあれ、スピーカーが効率良く空気をドライブできているように感じられるのです。なにやら低域のレンジが拡大したように、深々とした低音の動きが聞こえます。たかだか16cmのウーファーから、しかも小音量での再生なのに、バスドラムがホールの空気を揺るがす様子や、ピアノの中で響板が複雑に振動しているさまが感じられ、情報量まで増えた印象です。うちのはもともと“箱庭”なんだけど、箱のスケールがずいぶんとでっかくなった(^^;。
 触ったのはスピーカーの角度だけで、システムの他の部分にはいっさい手を付けていません。ということは、スピーカーから放射されているのは、これまでとまったく「同じ音」のはずです。ひょっとして、これで初めて左右の音が“正しく”(あるいは正しい状態に近く)合成されたのではないか、という気がします。
 以前にやってみたときも悪い印象はなかったのですが、これほどよさは感じられませんでした。どうやらほんとうに効果が現れるには、適正な位置にきちんと調整することが必要だったようです。まったく勿体ないことをしていたものですが、以前よりもシステム全体の音質が向上していますから、あるいはそれで効果がより顕著に感じられるのかもしれません。

 ただ、ここで述べた空気感は、よく言われる“定位”とは意味するところが異なるようにも思えます。長岡氏がやっていたような、スピーカーに正対し、硬い切り株の椅子に座り、頭の位置をピンポイントに固定することで初めて得ることができる空間描写とは別種のものなのではないか、と。むしろそうした意味での定位は不明確かもしれません。水平方向への音場の拡がりもスピーカーの間隔なりのもので、「広大な」という感じではありません。
 しかし、私はこれでよいのではないかと思っています。というのは、実際に演奏会場で目を閉じてみても、それぞれの楽器の音がステージ上にくっきり定位して聞こえたためしがないからです。実際目で見るようには聞こえていないようです。この聞こえ方はそういう実体験と近いもののように思えます。

 主にレコードを使って試聴していましたが、DCマイクで録音したテープも聴いてみました。やはりよいです。録音時の雰囲気がよく出ます。もっとも、レコードでも好印象なのは一緒ですから、マイク配置との整合が取れているからだ、とは断定できませんが。
 とまあなかなかに怪しげな話ではありますが、なにしろ聞こえ方が気持ちヨイものですから、もうここ半月ほどこのヘンなセッティングで聴いています。ちょっと普通の配置に戻してみても、なんだか情報量が減る感じがするし、何より左右のスピーカーがバラバラに鳴っているように聞こえてしまい、落ち着けません。たぶんもう当分はこのままでしょう。

2003.10


「大地の歌」大会(^^;;

 私が初めてマーラーの曲を(意識して)聴いてからもう20年以上が経っていますが、相変わらず一番のお気に入りは“番外”の交響曲、「大地の歌」なのでありました。多くの先人たちが“第9番”を書いてほどなく没しているがゆえに、マーラーは交響曲第8番の後に書いたこの曲に、本来ならば与えられるべき「9」の番号を付すことをしなかった、といういわくのある曲であります。
 先日も某有名ネットオークションのサイトでその「大地の歌」のLPが安く出ているのを見かけ、またもやついつい入札してしまったのでした。

 で、これがそのレコード。レナード・バーンスタイン指揮、ウィーン・フィルの'66年の録音。アルト独唱のパートをバリトン、フィッシャー・ディースカウが歌っています。名盤ガイドにもよく取り上げられる演奏です。
 DCアンプファンにはおなじみの「デッカのカッティング、キングのプレス」ですが、おそらくはこの盤が日本初版だと思います。レコード番号はSLC1605。中のライナーも、李白や孟浩然の原詩を載せるなど凝った構成になっています。同じ演奏の比較的初期の盤としてSLC1736というものもあるようですが、そちらはジャケットの風景写真が散漫な印象で、オークションで見かけてもあまり食指が動かないのでありました。

 ということなのですが、実のところ既に同じ演奏のレコードを3枚持っていた、というこの事実(^^;。まったく何やってんだか、と我ながら思うところではあります。
 しかし、こうしてついつい買い込むのにもそれなりの理由はありました。実はこの演奏、私の印象では、デッカの録音としては音がメタリックでハードに感じます。それで、なら初期盤の音はどうだろうか、もしもふくよかで瑞々しくキレがよい音だったら…という思いが湧いてくるのを抑えられない(^^;。
 で、音はどうだったのか、といいますと…まずまずかな、ということにしておきましょうか(^^;。

 さて、この際なので、ことのついでに(最近ネタも少ないし)、既に持っていたぶんの紹介もしてしまうことにします。

 これがその同じ演奏のレコードとしては最初に入手したもので、'86年発売の廉価盤(K20C8662)です。実は上のレコードとジャケットの写真は同じだと思い込んでいたのですが、引っ張り出してみたら全然違うのでした。「寂寥感をたたえた立ち木のある風景」というイメージが共通していただけ、ということなのです。見ているようで全然見ていないものですね。

 オーディオ好きとしては、気に入った演奏が特別高音質な盤で再発されるとなると、やっぱりじっとしていられなくなります。上のと同じジャケット写真ですが、こちらは例の“スーパー・アナログ・ディスク”です。やはりそれらしい音がしますが、メタリックな感じは残ります。

 たまたま中古盤店を覗いたときに見つけて、またもついつい…(^^;。まったく同じ演奏ですが、こちらは英デッカのプレス、ただし廉価盤の“JUBILEE”シリーズです。廉価盤でも“Ace of Diamonds”シリーズあたりだと音質的な評価もけっこう高く人気のようですが、これにはコレクターズアイテムとしての価値はなさそうです。
 スタンパーはだいぶ後のほうに起こされたものでしょうから、聴いてみてもちょっと音質が甘い印象。でも日本盤とは違う音味が感じられて、私としてはこれはこれで面白い。

 さて、同じ演奏のレコードを4枚挙げましたが、これはバーンスタインの別の演奏。'72年、イスラエル・フィル。上の演奏より前に買って聴いていました。アルトを歌うクリスタ・ルートヴィッヒがよいですねぇ。第4楽章など、エネルギッシュな表現はちょっと「ウエストサイド物語」を思い出させます。名盤案内の類いにはこの演奏が取り上げられることはあまりないようなのですが、実のところバーンスタインの「大地の歌」は、こちらの演奏のほうが私は好きです。
 ただし、この盤、もともとあまり録音がよくなさそうであることに加えて、カッティングがかの“SQ方式4チャンネル”なのです。たぶんそのせいでしょう、まったく埃っぽい音でHi-Fiからはほど遠い。同じ録音のCDも持っていますが、音はそちらのほうがだいぶましと思います。

 これはワルターの残した「大地の歌」の中で、最も新しい演奏です。'60年、ニューヨーク・フィル、独唱はミラー/ヘフリガー。ワルターの「大地の歌」を聴いたのは、この盤が初めてでしたが、バーンスタインとはまた違った安定感のある演奏が好もしく思えます。ソニーの再発盤で、デジタル処理した“NEW REMIXED MASTER”のシリーズ。音はちょっとメリハリが効きすぎた感じですが、「大地の歌」をワルターの演奏で、しかもバリバリ聴きたいときにはこれですね。

 '98年、スーパー・アナログ・ディスクに、いにしえのモノラル盤が登場。その中の1枚にこれがありました。名演の誉れ高い'52年のウィーン・フィルとの録音。ニューヨーク・フィルとの演奏に較べ、こちらのほうが深みというか、味わいがある、ような気がしてしまいます。
 ただ、初めて聴いたとき、妙に中低域に寄ったバランスに聞こえました。まさかffrr特性でスーパー・アナログでもあるまいに、と解せない気分です。ライナーにも特に記載はありませんから、たぶんRIAAなのだろうとは思うのですが、さて…。

 同じく'52年の演奏の初期日本盤。といってもジャケットの作りは簡素ですから、再発盤でしょう。スーパー・アナログ盤のことがあったので、もしや古いから録音特性はffrrなのか?、と思いましたが、聴いてみるとまったく自然なバランスです。古い米LONDON盤でも、ジャケットの裏に“RIAA”と記されていたりしますから、こちらもffrr特性ではないのでしょう。これを入手してから、上のスーパー・アナログ盤はほとんど聴かなくなってしまいました。
 ちなみに、英デッカのオリジナル盤は別ジャケットの2枚組でした。欲しいのですが、オークションに出てきてもすぐ高騰するので、なかなか手が出ません。

 ワルターの「大地の歌」としては一番古い録音ということになる、'36年、ウィーン・フィルとのライブ。EMIエンジェルの、SP盤からの復刻シリーズです。それにしてもこのジャケット、もう少し何とかならなかったものか…まあデザインにお金をかける余地はなかったのでしょうが。
 さすがに音はナロウレンジですが、これはこれで味わい深い演奏です。人によってはこれをワルターのイチ押しとすることもありますし、聴いておくべき演奏かと思います。

 というわけで、「大地の歌」のレコードをいろいろ持っている、と言ってはみたものの、挙げてみたらバーンスタインとワルターだけでした。他にも多くの優れた指揮者がいるというのに、我ながらまったく偏った趣味ではあります(^^;。(あと、CDで朝比奈、C・クライバーのを持っていますが、ここはレコードのみとしました。)

 ところで、まったく関係ありませんが、ひと月ほど前からうちの納屋に居候が…
 ちょっとブキミカワイイかも(^^;。

2003.8


音楽の友

しばらく前、遠くに住む友人がブルックナーにハマり出し、「なにしろあのマーラーが敬愛したのがブルックナーなんだから、もとより悪かろうはずがないのだ」と、私にもぜひ聴くよう強く勧めてきました。ブルックナーといえば、数枚持ってはいるものの私にはあんまりピンと来ない印象で、それらはあまり手が伸びる盤ではありませんでした。しかし、よい音楽を見出すセンスにかけては私なんかの比でない彼の言うことですから、ちょっと億劫に思いながらも繰り返し繰り返し聴いてみたのです。そしたらあなた、すっかりハマっちゃったよ(^^;。
 解るまでに時間がかかる音楽ほど、本質的に優れたものであるように思います。聴いてすぐ解るのは、大概飽きるのも早いんですよね。
 というわけで、ここしばらくのレコード漁りは専らブルックナーに偏向してしまいました。彼とはときどきお互いの新規入手のソフトをカセットテープに録音して交換し合ったり。誰のどの演奏がいいか、などであれこれ語り合うのは、クラシック音楽の楽しみのひとつでもあります。

 さて、そういうこともあって最近カセットのことが気になってきてしまい、一応ちゃんと動いているほうのWM-D6をついにDCアンプ制御してみることにしました。が、これがなかなか…。“メカもの”は好きなんですが、やはり難しいところがありますねえ(詳細は本コンテンツにて)。

2003.2


入り口刷新

 最近ようやく例の“金田式純正”ヘッドシェルAS-4PLを、例によって例のごとく某ネットオークションにて入手することができましたよん♪。これまでも出物があるたびチェックしていたのですがね、みなさんいつも、おいおいそんなに出しちゃっていいの? と思うくらい気前よく値をつり上げてくださるものだから、こっちはもうダルマさん状態なのでありました。リーズナブルな価格は諦めてそこそこ思い切った値で入札したところ、“猛者”の方々には大体行き渡ったのか、まあほどほどと思える価格で落ちて参りました…が、それでもこれ、販売当時の倍以上の価格だな(^^;;。
 ほぼ時を同じくして、我らが標準カートリッジDL-103も新品をゲット。これまでのものはもう8〜9年使っているので、音が歪むとかの不都合は特にないとはいえ、そろそろ新しいのが欲しいかなあ、と思っていたところでありました。というわけで、音の入り口を久々にリフレッシュできることになった次第。

 まずは愛用のスタックスのシェルに新しいDL-103を取り付けて聴いてみました。ん〜、やっぱり違いますね。スタイラスチップが鈍っていないせいか、はたまたダンパーの硬化が進んでいないせいか、より繊細な音がします。少しばかり華やいだ表情になるのは新品ゆえの“硬さ”でしょうか。ま、それも含めてやはり新しいのは気分がよろしいです(^^)。

 では、オーディオクラフトのシェルのほうはどうか。シェルの音を判断しなければいけないので、まずは使い込んできたほうのDL-103を取り付けて試聴します。このシェル、かなり重いな…。スタックスのアームはもともと軽量・ハイコンプライアンス軽針圧タイプのカートリッジと組み合わせて本領を発揮するアームではありますが、対応能力には優れており、けっこう重たいカートリッジも受け付けてくれます。サブウエイトを後方にずらすことで、オプションの追加ウエイトを取り付けることなくどうにかバランスが取れました。

 さて、第一声。おぉ、中域から低域にかけての、このどっしりした充実感・質量感・実体感はなんだ! いや、高いほうまで全域にわたってエネルギーが漲っている。情報量も文句ない。これならあの値付けも“リーズナブル”と言ってよい(?)。
 スタックスのシェルは、他のシェルと較べたら非常に癖のない素直で繊細な音を聞かせてくれていたと思うけれど、そもそもやや重量級のほうに属すると思われるDL-103の能力を十分に引きだすにはやはり重いシェルのほうがよいということでしょう。金田氏が書いていた通り、スタックスのシェルでは聞こえなかった金属の塊っぽい響きみたいなものがごく僅かに感じられますが、気になりません。

 AS-4PLは、リード線がコネクターのピンにハンダ付けされて透明なスリーブが被せられていますが、そのスリーブもリード線自体もDL-103を取り付けるにはちょっと長くて邪魔なので、どちらも少し長さを詰めました。リード線は素線がかなり酸化して黒くなっており、切り詰めて再度ハンダ付けするさいカッターナイフの背で素線の酸化被膜をこそげ落としてやる必要がありました。いずれ適当な線材を見つけて交換したいところです。カートリッジからアンプまで一本線で持っていけばいいのは間違いないんだけど、さすがにそこまではちょっと…(^^;。

 さて、そういうわけでもうこれは常用システム入り決定です。結局、新しいほうのDL-103をAS-4PLに取り付けることになりました。古いほうは予備に取っておくことにしましょう。それともDENONがあるうちに針交換しておくほうがいいかな?(^^;。
 前の持ち主がシェルの腹のほうに貼っていた6mmφのレゾナンス・チップ、背のほうに貼り替えました。MJで柴崎氏が紹介していたように、板状の面と基部の境目のちょうど真上のあたり。腹面に貼るより効果があるようです(そんな気がします(^^;)。

2003.1