雑想つれづれ…

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私が気になる言葉ども…


「音場」

 この言葉、オーディオでしか使わないでしょうな。ワープロでも出ないし。いわゆる音響工学専門用語なのだろうか?
 ところで、これ、正しくはどう読むべきなのでしょう。私はずっと「オンバ」と読んできたので、たまに「オンジョウ」というのを聞くことがあってすごく違和感を感じてしまう。「オンバ」は重箱読みであるから不自然と言えなくもないけれど、私は「オンバ」が正しいと思っています。だってこれに類すると思われる言葉、「電場」「磁場」などはみんな「バ」ではないか。
 もともと単なる「音場」ではなくて「音場感」という言葉として出現した言葉であったように思うが、そのとき既に存在していた「臨場感」という言葉に引っ張られて「オンジョウカン」と読んでしまったというのが本当のところではないのか。この言葉を発明した人は誰だろう?私は故長岡鉄男氏だったのではないかと思っているんですが、誰かご存じありませんか?
 あるいは発明者自ら「オンジョウカン」のつもりだったかもしれないけれど、いずれにせよ、私はこれからも「オンバ」で行くつもりです。


「役不足」

 この言葉、よくオーディオの記事に登場する。鳴らしにくい高性能スピーカーにグレードのあまり高くないアンプをつないでみて「やはりこのアンプでは役不足」なんていう使い方で目にする。でもね、「役不足」というのは本来、役者の格に比して与えられた「役」が軽すぎる、という意味のはずです。役に対して役者が不足するのではない、役者に対して役が不足しているということで、要するに有能な人をチョイ役で使っちゃって申し訳ございません、という場面で使う言葉なんである。つまり能力不足とは正反対の意味ということになる。だからほんとうは、金田式4D32ppアンプみたいな大げさなアンプをBGM用に使っておいて「このアンプには役不足だがね…」なんて言ったりするのが正しい使い方です(言ってみたい…)。
 というようなことを全オーディオジャーナリズムに訴えたい、なんて思っているんだけど…。


「融通」

 オーディオとは関係ないけど、何たることか、これ、私のかな漢字変換ソフトでは変換されない。なんでか、と思ったら、「ゆうずう」で変換しないとダメなのだった。んなバカな。これは「ゆうづう」だろ?「通」を「すう」と読む読み方なんてないぞ…と独り怒り狂っておりました、とさ。でも辞書を見ると「ゆうずう」が載ってる、ショック!
 そういえば「地震」は「じしん」なんだよな。小学校のとき国語のテストの漢字の読みを書く問題で「地」は「ち」だから「ぢしん」でなければならないのではないかと思ってそう書いたら、見事にハネられた。ものすごく不正を感じましたね、ハイ。でもやっぱり間違ってるんじゃないか?なんて思ってる私こそユウヅウの利かないやつなのか。でもね、「ず」と「づ」は発音記号でも、また実際の舌の動きでも、異なる音なのですよ。
 (後記:ジャストシステムのATOKではちゃんと「ゆうづう」で変換されます)


「ハンダずけ」

 上に同じですね。きもちわるいよぅ…「すけ」たりしないで、ちゃんと「つけ」てください。


「消耗」

 これ、「しょうこう」と読むのが正しいと知ったのは10年以上前のこと。「耗」の字はもともと「コウ」であって「モウ」という読みはないのだと。かなり驚きましたね。確かに「心神耗弱」は「シンシンコウジャク」だもんな。「直截」を「チョクサイ」と読んでみたり、というのはよく知られた間違いだけど、だんだん「しょうがねえがまあいいか」とされつつあるようだし、結局こんなふうに最後にはみんながそう読む読み方が正しいということになっていくんでしょうな。すっきりせんけど…。


「難易度が高い」

 「このキットは製作の難易度が高い」なんて言いますね。平たく言って、むずかしいよ、ということなんだろうけど、おかしいと思いませんか?私は聞くたびに気持ち悪くなる。「難易度」というのは「難かしい、易しい」の「度合い」という意味であって、決して「難しさ」のことではないと思う。つまり、「難易度」という言葉には本来「難しい」ほうの“向き”はないのではないか、ということ。
 もともと受験業界用語だろうけれど、そこでは難易度が偏差値の高低によって表現された。文字通り「難」が偏差値が高いことで「易」が偏差値が低いことなのは言うまでもない。そのように偏差値が高かったり低かったりする様子が「難易度」なのであって、「難易度」自体に高低があるわけではない。
 したがって、これは本来「難度が高い」と言うべきだと思います。でもこの言い回しももうかなり市民権を得てしまっているみたいなんだな…。


「SNOW BRAND」

 チーズを食べていて、剥いた包装のラベルを見ながらふと思った。たとえば大川さんが英語で自己紹介するとして、自分の名前をBig Riverだなんて言うはずはないよな。雪印さん、ひょっとして何か勘違いしてませんか?
 (後記:てなことを書いていたら、あんなことになっちゃって、ねえ…(^^;)


「立ち上げる」

 「パソコンを立ち上げる」「プロジェクトを立ち上げる」なんて言いますね。
 「立ち上がる」は「立つ」+「上がる」であることに異論はないと思う。「立つ」「上がる」はどちらも自動詞だ(“自動詞”って日本語の文法用語じゃないのかな?)。「立ち上げる」はその「上がる」のほうだけ他動詞にした言葉に見えるが、そんなことしていいのだろうか。だとしたら「成り上がる」という言葉に対して「成り上げる」という言い方があっても不自然でないことになりそうだが、これは誰が聞いたってヘンだろう。
 「切り上げる」という言葉はちゃんと「切る」と「上げる」という他動詞の組み合わせだ。これと意味は対応していないけれど「切れ上がる」という言い方も一応ある。「切れる」「上がる」でちゃんと自動詞の組み合わせになっている。これらは構造的に問題はない。
 というわけで、どう考えても「立ち上げる」は言葉の構造が壊れていると思う。パソコンを立ち上がった状態にすることを言うなら、本来は「立ち上がらせる」と言わねばならないのではないのか。プロジェクトのほうはスイッチを入れたら勝手に立ち上がるわけではないので「立ち上がらせる」では違和感がある。他の言い回しを考えるべきだろう。
 …と思うんだけど、実のところあまり賛同は得られないのではないかとも思う。  


「ネオジウム」

 近年のカートリッジやヘッドフォンの発音ユニットなどによく使われている例の強力磁石のことだが、私がMJ誌で初めてこの手の記述を目にしたときは「ネオジム磁石」と書いてあった。「ネオジム」とは、なんだかゴロがよろしくない、金属っぽい感じだからこれは「ネオジウム」なんじゃないのか、なんて思ったのだが、はたしてみなさんそうお思いになったのか、最近では「ネオジウム」と書いてあるのをあちこちで目にする。
 ところが最近、たまたまローサーのユニットを扱っている海外のショップのサイトを見ていて、“neodymium”という語を発見した。ローサーの新しいユニットに使われているマグネットに関する記述の中でだ。もちろん件の磁石のこと。なんと、正しくは「ネオディミウム」らしいのだった。
 基本に返って、中学高校の理科の教科書の表紙裏にあった元素周期表(もちろん日本語版)を覗いてみると、はたして「ネオジム」とある。原子番号60、元素記号は「Nd」である。
 気になったのでもう少しWebで調べてみたら、ちゃんとした科学の知識を持った人が作ったと思われるドンピシャのサイトを発見。元素についての解説のほか、各国語でのこの元素の表記(発音)を一覧にして載せてあるのだ。それで見ると、当然ながら呼び名は言語によって若干違う。英語では前述の通り“neodymium”であった(もちろん見出しもこれ)が、他の国の言葉でも似たような呼称のようだ。国によって“neodym”というのもある。“-ium”が取れた形だろう。日本はこちらの流儀らしい。日本式の発音も[neojim]というふうに紹介されている。そして、このリストには「ネオジウム」に相当する表記は無いようである(ロシア文字みたいな読めないやつもあるので判然としないが)。ということはつまり、どうやら「ネオジウム」は間違いらしい。
 さて、それならと、検索エンジンで“neodyum”と“neodium”を当たってみた。ところがこれが、それぞれちゃんと引っ掛かるものがあったんですな。ただ、読んでみると、全然関係のない内容(特にneodiumのほう)であったり、私にはどこの国だかわからない言語であったり、ちゃんとした科学的知識のなさそうな書き手によるものと思われるもの(これがたいていオーディオ関連のページだったりする(^^;)ばかりのようであった。どうも外国でも先の私の発想と似たような勘違いをして誤った呼び方をしているのではないだろうか。ただひとつ、日本人の研究者と思われる方のページ(英語)に“neodyum”の記述を見つけたが、なにしろ日本人らしいので、これもそもそもこの人自身が勘違いをしている可能性が高い。
 ということで、あれやこれやで私が到達した結論は、「ネオジウム」という用語は不適切である、ということだ。ま、英語流の「ネオディミウム磁石」では少々まどろっこしいから、正規の日本式呼称である「ネオジム磁石」で統一すべきでしょう、とオーディオジャーナリズムに訴えたい(^^;。


「絶対評価」

 小中学校の成績の付け方が変わる、らしい。あるいはもう変わったのかな。で、これまでのクラス内での位置を示す「相対評価」から、本人の目標に応じた達成度を表す「絶対評価」になるんだそうだ。ふーん…あれ、これって「相対」「絶対」の使い方が混乱してないか?
 一人一人の子供に応じて評価のモノサシが変化するなら、それこそ「相対評価」で、全員一律同じモノサシで評価することこそ「絶対評価」と言うべきなのではないか。
 おそらく、最初にこの言葉を考えた人は、他と較べての評価ではない、つまり他と「対」照することを「絶」った評価だ、というつもりで「絶対評価」と言ったのだろう。だが、そもそも評価とはモノサシを当ててみることだ。モノサシと較べないことには評価にならない。だから「絶対評価」というとそれは「絶対的モノサシによる評価」という意味に取るのが普通だろう、と私は思うが…こんなのは「相対座標」「絶対座標」なんていう言葉に慣れてしまった理系独特の発想なのだろうか。何にせよ、どうやらもう正式に役所の用語になってしまっているみたいなので、こんなところでぶつくさ言っていてもしょうがないんだが、非常にすっきりしなくて…(--)。


「スムース」

 ほんとうは「スムーズ」じゃあないのか、と思うんだけど、濁点があるとひっかかる感じがしてスムーズじゃない、ということか(^^;。  


「時期尚早」

 これを私の周りの人が発音しているのを聴くと、どうも8割方(もっと多いかも)の人が「ジキソウショウ」って言っているようなのだが…。
 そのほうが発音しやすいので、ついついそうなってしまうのだろうが、意味を考えずに喋っているとしか思えない。「なお」が「ショウ」で「はやい」ことが「ソウ」なんでしょ…なんてことを考えながら喋る私がヘンなのか?(--;。


「月極」

 各地の空き地を買い集めて、チェーン店形式で駐車場ビジネスを展開している「ゲッキョク」という会社なのだな、社長はきっと怖そうな人なのだろうな、と中学生のころ思っていたのは私だけでしょうか?
 それにしても、月ごとの契約になっているものはいろいろあるのに、この言葉はなぜ駐車場にしか付かないのだろう。ことさらに「月」を強調する必要もないと思うが、たとえば「契約駐車場」などではなぜいけないのだろう。言葉は必要があって生まれるものだと思うが、この言葉は必要だったのだろうか?


「しがらみ」

 水流をせき止める「さく」のことで、漢字では「柵」なのだった。比喩として、要するに障害となるものということだろうが、それも特に人間関係的な障害ですな。しかし、どうも「-からみ」からの連想のせいだろう、なにやら絡みつく繊維質のイメージが定着してしまっているみたいで、「しがらみを断ち切って」云々のような言い回しがときどきされるが、そもそも「切る」ものではないだろう…と言いたいわけですが、まあいいか。


「**からともなく」

 「どこからともなく」「だれからともなく」をどう読むか。いや、抑揚、アクセントの話。人が喋るのを聞いていると、「どこから・ともなく」というふうに聞こえてしまう。テレビのアナウンサーでもそう聞こえるのが多くて、これが気になるんですな。「どこからというのは判然としないで」というような意味なのだから、「どこからとも・なく」のはずだろう。「ともなく」と一続きにしてしまうのは違うんではないでしょうか?  


「手持ちぶたさ」

 先日、私のいわばお客さんになる人と話していて、数回この言葉が発せられた。それは「無沙汰」ですよ、と突っ込んだほうがいいのか、それともこのまま相槌を打って流してしまったほうがいいのか逡巡したが、結局後者を取った私であった。「楽しさ」「寂しさ」の類と思っているのか?とすれば「手持ちぶたい」という形容詞が存在することになるなあ、感じ出てるかも…   


「さりげに」

 「なにげに」が嫌だなあ、と思っていたら、こんな言い回しも出てきちゃった。「さりげなく」を略してしまったわけだが、「なく」を取ってしまったら意味が正反対(これも今は「真逆」というのか…)になってしまうということが、言っている人は感覚的に分からないんだろうか。「さりげに」だと「いかにも、な様子で」ということになるはずなんだけど…


「間違え」

 この頃とてもよく目にする。見るたび、えっ、「間違い」じゃなくて? と思ってしまう。
 なんでこの言い方が多くなってしまったのか。考えてみたが、「間違い」は「間違う」の名詞形、「間違え」は「間違える」の名詞形として使われているような気がする。後者のほうが他動詞的というか、行為の主体の存在をより意識した表現になっている、という理屈が付けられそうだ。要するに、今という時代は個人のミスの責任を追及する時代なんですな。
 手近な国語辞典を一応繰ってみたが、やっぱり「間違え」は載ってませんでしたよ。


また何か思いついたらつづけるつもり…