京、東山文化、及び畠山文化に茶の湯を文化として位置付けた圓山梅雪の妻は京都の柳家の娘柳姫。
柳家は室町期全国一の大酒造業者で金融業をいとなみ毎月足利将軍に六拾貫とゆう巨額の金子を運上
していた。
柳家は法華宗で信仰心厚く現、本山妙蓮寺を建立した。
義総に請われて七尾に下向した梅雪夫妻、本行坊を中興開基し柳屋の名をとり「揚柳山本行寺」と
号す。通称やなぎ寺。利家が七尾に入府し現小丸山公園に築城を計画。将来の城、防衛の為に西山
台地に29ヵ寺の寺院を配置した。
本行寺も七尾城中より現在地に移転され寺院群の中核に位置し戦に備えた地形上に建てられた。
堂宇も城様式になっている。
七尾城落城時持ち出された畠山家守護神「三面大黒天」「軍配」「武具」等七尾城ゆかりのもの
多く所有、又前田家「三光天」祈願佛、前田家からの古文書、皇室より「法華経八巻」が奉経されて
いる。又高山右近と隠れキリシタンの寺で境内には右近の修道所跡井戸、住居跡など右近谷として
現在も残っている、右近達は宣教師たちから南蛮文化を密かにこの寺で学んだといわれ、辰巳用水を
引いた板屋兵四郎も門下生といわれている。
境内には当時の隠れキリシタンの本懐「ゼウスの塔」がある。
又、梅雪由来 前田家茶室「きく亭」が当時そのままに残っている。
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本行寺参道 |
本行寺山門 |
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