七尾城内で上杉方と最後まで戦った畠山一族は、松波城主の畠山義親である彼は落城の前夜天正5年
(1577年)9月14日夜、上杉謙信と遊佐続光が密約し内応した事実を知り急拠神保、河野、熊木
の家臣を連れて脱出。その際、七尾城の守護神である「三面大黒天」を城門を守っていた閂に背負わせ
城外に搬出。その大黒天こそ本行寺安置の大黒天なのである。
三面大黒天はインドでは戦の神として崇められわが国でも当時は守護神であったが次第に五穀豊穣の
福の神、大持国天に変化(混同)していくのである。
この大黒天には次の様な語りが付いております。
落城時、城から脱出し佐野、澤野の山中に逃げた、女や、年寄り、落ち武者達が何日も食べ物がなく
動かれなくなりもうこれまでと覚悟した晩、この三面大黒天は人間に姿を変えられ、沢山の、ぼうぶら
(カボチャ)をあつめてきて、多くの人々を助けたと言う言い伝えがあり、それを縁起として本行寺で
は毎年、「ぼぶら御講」が営まれ晩秋の能登風物詩になっております。
(当時のぼうぶらは、今のカボチャと違って細長く、一名「唐なす」と言われていた)
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畠山家守護神三面大黒天 |
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