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死刑、これは、大変恐ろしい言葉です。
死刑にだけはなりたくない、それが誰にでも共通した心理だと思います。
ところが、実際には、この残酷な制度は世界各国で実施されています。そして、この日本でも、死刑は今もなお実施されています。
冤罪の可能性が完全になくならない限り、死刑は常に、不完全でしかない人間が他の人間を裁くという事の難しさと、判決のミスという大きな危険を背負っています。
また、法律が人を殺しても善いのか、そういった考えを主張する方もいらっしゃいます。
ですが、一方では、死刑は犯罪の抑止力になるという考え方もあり、この問題には常に賛否両論があります。
そこで、私はある時、自分の師に、この死刑の是非について尋ねたのです。師は私にこうおっしゃいました。
「人々が人の命の重さを強調し、命の大切さを叫べば叫ぶほど、人は命に価値を考える。
だが、そうした考えが強ければ強いほど、逆に、自分の肉親が他の者によって命を奪われた時、その犯人を死刑にしなければ気持ちが収まらなくなる。
自分にとって、大切であるほど、それを奪われた時の悲しみも大きく、恨みも同時に強くなるのである。
ましてや、肉親の命を奪った犯人が、わずか何年かの後に涼しい顔をして牢を出てきたりすれば、その犯人を許せる遺族はいない。
命であれ、財産であれ、大切でなければ、それを奪った犯人に対しても、恨みは小さい。
人は大切に感じるものを奪われるがゆえに強く怒るものである。
よって、死刑という制度の善し悪しはともかくとしても、命というものが、人間にとって大切であると考えれば、犯罪者の命といえどもそれを守ろう、という考えが出てくる。
一方、それを許せないと感じる被害者も、また出る。」
との事でした。
命、それが重すぎる分、悲劇も大きいのでしょう。
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