Home(wind)  自然との語らい  星 剱  地球の空  星空の風景  今日の風  夜風を受けて

〜凪〜  立ちどまって
                  2013.11 更新  
 みんな写っていればいい?
デジタルカメラによる星景写真がますます過渡期。お手軽に写した(写った)画像だけでなく、後処理で加工する作例も多く目にするようになった。今までフィルムできっちり撮していた層に加え、デジタルになって初めて星景を試したプロや業界の方、加工ありきの機材重視?の方・・・  なかには既存手法の変形を自称唯一の作例だと吹聴する方もおられるので見る側は注意が必要だろう。 
写真も色々な表現あって然るべきであるが、星景写真の場合シャドー部をどこまで表現するのか混沌としている。なかには見苦しい画像もすくなからずあるのも一因である。何もかも写っていればイイと思い込んで小手先のレタッチ等に満足し、思い込んだら客観的にみられなくなる。通常の写真もHDRの複数露光の合成画を良しとする向きもあるが、最終的には見る側がどう感じるかが重要な点と思っている。
 星景写真もいかにもハメ込み画としか見られない画像も場合によってはアリなのかもしれないが・・・ 少なくとも自分はナシだと思っている。
自然光を上手く利用できないことの代弁として照明やレタッチに頼ること自体が負けなのだと  2013.11.3



 デジタルと銀塩に求めるもの
5年前は、まだ均衡していた写真界のデジタルとフィルム(銀塩)の使い分け。年々質的感度的に向上し販売されるデジタルカメラに対しフィルムカメラの販売などは微々たるものであろう。自分自身も毎年何らかのデジタルカメラを購入するのに対しフィルムカメラは数年前に中古を購入したきり。フィルムこそ生産中止の報を聞きとりあえずシートフィルムを買ったくらい。冷凍庫にある120ストックを買い足すほど消化していない。そうしているうちにフィルム関連の周辺環境までも淘汰され始めている。販売されるフィルムの種類も激減し、ついには大伸ばし用のプリント紙もなくなるアナウンス。一見デジタルでのプリントは派手目で見栄えも良くPCで細工した画像であればプリントに技術は要さない。
 最近風景系の写真展を2つ、新宿と品川の企業系のギャラリーで見た。いずれもデジタルカメラによるもので薄暗いシーンや連写で得られるシーンなどフィルム時代ではできなかった作品もある。ところが見ていて何か満たされない気になっている。いわいる陰影の黒が黒くない。特に大伸ばしした際は黒が十分に描写されない宿命があるのだろう。それに加え階調を広げようと多少なりとも後処理してしまい、それともこの程度は許容範囲と認知されているのか・・・。確かにフィルムからのプリントでも覆い焼きで暗部の描写をオペレーターの技術で引き出してはいたモノの不自然さが残るプリントにはなっていなかった。ネット上は、HDR処理も当たり前になって、所詮たかが知れているモニターで満足し、結果的に写真も印刷も一緒に扱われてしまうことに危機感を感じている。
 詰まるところ デジタルと銀塩、求めるものが違いがあるのだけど。即時性と記録性は圧倒的にデジタル。しかし質的にはデジタルではどう頑張ってもアナログ銀塩には敵わない。ただし大伸ばししたプリントやそれこそ違いのわかる者しか差が解らないところまで来てしまった。需要が圧倒的にモニターやインクジェット出力になっている現況をみれば当然の顛末とはいえ、旧来からの撮影する側の連想的には「フィルム(銀塩)」は制作なのだけど「デジタル」は処理って表現がマッチするのかと  2012.12.1


 
 新年元旦
広く共通化されている暦として1月1日が新年の始まりとしている。
現行の世界基準暦はグレゴリオ暦とされ、ともすれば半端な?タイミングの正月であるが過去の歴史上の権力者が自分に都合の良いように設定したらしい。(暦については奥が深いので詳細は割愛)
世界の一部の民族間では太陰暦に基づて概ね冬至後の1朔望月後の新月を正月としている。実際この時の潮位は年最大となり世界各地の大河では潮が溯る様子が話題となっている。
太陽に対して地球は傾いたまま自転している。これにより時期によって地球からの太陽の高度が変化したり四季がみられたりする。この傾いた方向が太陽と一致するのが冬至と夏至になる。次に地球は太陽をまわっていることで1年が設定されているが、この軌道は真円ではない離心率が1.017と地球から見えるみかけの太陽の大きさは、最短と最遠では3%の差がある。そして地球が一番太陽に近づくのが毎年1月4日前後である。とはいえこの程度では見かけ上は確固たる違いはわかりにくい


さて地球上で意義のある日は本当はいつなのであろうか
四季のよりどころでもある自転軸の傾きが最大となる冬至(or夏至)
太陽にちかく自転速度も(1日も)実は速くなっている近日点の日
地球上の生物が強い影響を受けている潮位が年間最大となる旧正月

個人的には、そもそも一年とは地球が太陽を1周することなので 太陽に一番近くとなる日を一年の始まりと考えたいところである 2012.1.4 


 生活改善
以前よりこのコラムの中でも書いていたことだか、今後の電力供給を考えるのあたりまずすべきは省エネ化といえよう。原子力のコストを本当に考えた場合、火力や水力より劣るのは明白だったのに原子力産業育成の掛け声に埋もらされていた。(廃棄物処理 維持費用 長距離送電 補償費などは発電コストに計上していないこと)その原発を促進させるためオール電化が聞こえよく普及させたあげく、負のメリットがようやく認知されている。太陽光や風力もランニングコストを考慮すると必ずしも良いとはいえない。現にあれほど普及させていた風力もやっと故障の多さや保守維持に費用がかかるとわかってきている。
詰まるところひとりあたりの電力使用量を制限してそれ以上使用する場合は料金を100倍にするくらいが良いのではないか。現に日本の人口が今後も減ることは誰もが認めていることであり今以上の電気はいらないはずなのだ 首都圏に集中した人口を分散させるのも一案 長期の電力不足に懸念をもつ必要はない 2011.3.27
  4/1 追加:参考文献 原発がどんなものか知ってほしい1996  
 
 

 星景写真が危うい
デジタル機器の進歩で気軽に夜の風景を撮せるようになってきた。
この点では大変好ましいことで星空に触れるヒトが増え星景写真も身近になっている。ただ作品として作り込もうとしているのは少数派で、とりあえず「写っていればOK」の風潮が蔓延している。地上のモノと何でも一緒に写っていれば良いと勘違いしてる例が見かけすぎる。初歩者ならまだしも口方便の方々が御丁寧に初心者相手にデジタル加工ありきのレクチャーをおこなっているのを垣間見ると危うさを感じてしまう。詰まるところ作品として何を目指すかが曖昧なのである。ネット上であれば少々のデジタル加工を施してもわざとらしさは目に付かないが、全紙以上に伸ばした際にどうなるのか・・・ 
そもそも本当に作品とするならば大伸ばしを目標とすべきで伸ばしに耐えられない画像はPC画面から外には出られない虚の存在であろう。
節操もなくネットに画像を垂れ流しして、まさに情報の飽和状態。取捨選択するのを放棄して作品として向上させようとは思えない。にじみフィルターも標準と勘違いで全体的にぼやけてロケーションが台無しな感がする。一見星空には星座がわかりやすくこの点だけでは良しではあるけど、地上も同様に芯のない写りなので対象をみて対処すべきであろう。さらにコマ撮りを後処理で合成して暗い星を強調させる手法が横行してきた。都会で星が写っていることはすごいことなのかもしれないが、前記と同様に作品としての視点が乏しい。
デジタルになってさらに技巧を凝らすことに価値観を見いだそうとすると、一般世間から隔離した先の見えないジャンルになる気がして危うさを感じてしまう今日この頃。
  2009.4.19 (2010.9補足)



  写真の比率
写真を作品としての重要な点として画面の縦横比もあげられる。いわいるアスペクト比として一般的な35mm判は、横36mm 縦24mm 比率が2:3の1.5である。個人的によく使っている67判は、おおよそ1.16。他にも66の正方形もあるけれど、今デジタルカメラのほうが普及してコンパクトデジカメの標準の比率は3:4の1.333 となっている。これはパソコンのモニターサイズに準じていたことが大きな要因であったが、このモニターサイズも最近はハイビジョンワイド画面が増えてきた。この比率は1.6である。ちなみにA4など用紙の場合は、1.416。ハガキサイズは、1.5と35mm判とは一緒であった。ここで安定的な比率として引き合いに出される黄金比は1.618 とハイビジョンサイズはこれを意識しているのかもしれない。どの比率が一番かというのは、何をどう見せるかの手法ともいえるので決まっている訳ではない。しかし見る側の制約上 PCモニターサイズの変化が逆にデジタルカメラでの汎用サイズの変化につながると思えるので特にデジタルで撮す側は意識しておくことも必要だろう。  2010.4.1
 
 
                 
 プロとアマ 
一番大きな違いは、生業としているか如何。撮した写真が売れることで、むしろ売れる写真を撮すことで収入を得ているのがプロ。いくら良い写真を撮しても生業として成り立たなければプロの写真家にはなれない。星の写真のように不確定な時間をかけないと撮せない対象は、この分野でのプロは実際ありえないだろう。何時晴れるかわからない、晴れたとしても1コマにかかる時間が長く、一度に多くのカットが得られない、露光時間はそれなりの経験が必要など・・・ コストパフォーマンスは最悪。星の写真が雑誌その他で使われる例の多くは「とりあえず」撮してみた程度の出来のカットが多いのが実情に思える。
一方プロとアマを技術的に線引きするのは難しい。プロは効率が全てなので(無駄な撮影は時間のロス)少ないチャンスを失敗なく撮す能力は長けている。またその気になれば掛けれらる時間はプロにはあるのだろう。ただプロ(一般的)がその片手間に撮した星の写真すべてが、「プロの作品」と言われることには少々抵抗がある。世間は、星が写っているだけで星の写真と称されている。いわばプロの方の多くも同じく夜の写真に対する造詣も持ち合わせて撮している写真は少ないのが現状であろう。そこで時間的な縛りのあまりない(締め切りが無い?)アマの撮す星空の写真の方に良いものが多いのは、いわば当然とも思える。もちろんアマも十分な基本的技術を持ち合わせているのは言わずもがなである。
近年デジタルでの技術進歩が進み、さほど時間をかけずに夜の写真も写せるようになってきている。今までは時間的負担の大きかったプロもものめずらしさから夜の撮影に参入し始めてきてフィルム時代とは違った写真が増えてくるのは間違いないだろう。 2008.10.10
 

 
長く使うより新製品?

このところ地球温暖化対策=?二酸化炭素削減=?ゴミ回収? 新製品への買い換え はたまた 植林 ブナ林保全 だんだん違い方向に向いている。
地球が温暖化しているのは、二酸化炭素量の増よりも太陽活動の活発化によるところが大きい。。。(でもこれをいったら せっかくのエコ産業が・・・ です)
ゴミを回収してリサイクルするほどエネルギーを浪費していること回収にかかるコスト 選別するコスト(かならずしも分別されていないから回収したものはすべてソートかけている) 再使用するのに溶解等のコスト 一番の懸案は、再生したものは100%の純度でないため製品としての完成度は低い(ことが多い:長持ちしない) 2008.7.1




ブナ林の実態

ほとんど知られていないのがブナの極相林(100年生以上のブナの森)は、実は二酸化炭素を放出している。ブナも生きているので生育上、呼吸をして常に酸素を吸って二酸化炭素を放出している。光合成できるのは、昼間の限られた時間。しかもブナが生えている場所は山間で日照時間は短い。
冷静に考えると吸収した二酸化炭素はどこにいくか で、生長のおそい樹に二酸化炭素吸収能力を期待するのはおかしい。二酸化炭素は、木材として固定化され初めて、吸収されたといえる。スギを植えてから10年から20年くらいの間が一番生長量が大きい どんどん植えて30年くらいで伐って使うことが 本当の二酸化炭素吸収対策。
この悪名たかいスギの人工林が、一番(日本の樹の中で)二酸化炭素吸収能力が高い。
ブナなんか大事にしてもなんら二酸化炭素吸収対策になっていない。
樹を植えることが何か良いことのようだけど、問題はそのあと。植えてから少なくとも10年間手入れをしないと樹が森として成長しない。この10年間の手入れがいちばん大変な労力。植えるのは簡単。手入れを誰が(実際の作業と費用)するのか不明朗のまま植えても何の意味もない
 
 
 
県外登山ガイドの力量

またしても県外(富山県外)のガイド登山者が遭難を起こした。昨年秋の白馬岳と同様、冬と夏との中間であるこの時期の天気の読みが非常に甘い!5月でも降雪になるのは当たり前なのに舐めているとしか思えない。
今回も北陸地方以外の登山ガイドが引き起こしている。※平蔵コルの場所がちがってます
ひょっとして? 何かあっても県警が何とかしてくれるーと根底に思っているのではないか。地元だから余計に思うけど今年(2007)の雪の着き方は例年と違う。標高によって積雪の量が異様に違っている。なのに・・・ ろくにリサーチもせず高いお金を取ってプロ気取りのモノが事故を起こしている。一部の県外ガイド(いわいる有料で登山ガイドをしているモノ)は剱岳を単なる飯の種場としか思っていないのではないか。
たとえば緊急避難的な位置づけである長次郎谷・熊の岩でテントを長期に常設(張りっぱなし)してガイド登山と称して客を泊めている輩もみかけたのであきれる。さも当然としているからたちが悪い。そういう場所は単発で控えめに使うのが暗黙のマナーなのだけど・・・。
 そうして本来なら自らの力量でしか行かれない場所におおくのヒトを送り込んでいる「登山ガイド」は、詰まるところ自然を食い物にしていることには気づかず、自然の偽善者として今後も君臨してく。。。。 2007.5.11 
 
 
 
今の日本はどこへ

年が明けてもまだ残務が続く毎日。年々忙しくなってきている。そうしている間にも世間の歪みは強くなってきている気がする。所詮テレビ番組の内容など茶番と思っていればイイのにそれに振り回される方もどうかと思う。マスコミ「やらせ」など今に始まったことでもなく特に番組が長くなると不穏な状況(つまりネタ切れ)になりがちである。それでも視聴率の高い番組には、各業界から番組制作会社への売り込みが盛んという・・・ この放送のひと月前には売り込んだ側と流通業界が手を組んで放映日に向け準備を進めていた。創作した番組&制作者も悪いが、その背後があまり報じられていないのが気になる。
再度発覚した耐震偽装問題も根が深いといわれている。
施主は現職元首の後援会の副会長(つまりスポンサー)。
設計者は、某県の前首長の親族関係者(なので?公共建築の受注がメイン)。
さらに地元の新聞社は、見出しに実名を出さない(つまりスポンサー)。
など裏の構図が透けて見える。
かたや自己の利益のため「北」に向け商売をするハイテク業界。いわいる「薬」の密輸もしかり、個々がその場の欲に呑まれてトータルに物事を見られなくなってきている。
格差はよりおおきく利権者だけの世に突き進んでいるのか
政治家も目先の利益に呑まれていませんか?  2007.1.31
 
 
 
「ホン気に温暖化対策するには」

今のままでは京都議定書で目標とした二酸化炭素削減は厳しいという。ここで間違ってはいけないのが原子力は二酸化炭素排出しないというデマ。ウランなどの原料を精製や放射線物質を処理&管理するエネルギーは考慮されていないからだ。遠距離から送電するロスも馬鹿にならない。(なぜかこれらはまったく触れようとしない)ちまたで話題になっているエタノール これもまた問題でトウモロコシ畑を開墾したり各工程にかかる石油エネルギーも考慮されていない。風力発電の風車も野鳥には天敵で風を使って飛んでいるとどうしても巻き込まれる個体がでてきてしまう。表面だけ繕ったエセエコ製品を一般市民に購入させるだけでは所詮無理であろう。抜本的にシステムを換えないと消費文明を止めることはできない。たとえば電気需要。使うほど安くなる料金体系が可笑しい。エコ製品を使うよりもそもそも機器を使わないようにするほうが確実である。ひとりあたりの使用電力量を定め、それ以上使うほど料金が割高になるようにすれば覿面(てきめん)に電力需要はさがり確実に二酸化炭素排出量は抑制される。個人個人に対して実感が伴わないと、今の日本での理性ではまったく効果が無いだろう 2006.11.10
 
 
「LOHAS」

日本では昨年くらいから時々耳にするようになった言葉。
あるサイトから引用すると
〜ロハスス(Lifestyles Of Health And Sustinability)と言われる人たちが、アメリカで、ヨーロッパで増え続け、今後のビジネスや政治のあり方まで変える可能性を秘めた存在として注目されています。ロハスとは、地球環境保護と健康な生活を最優先し、人類と地球が共栄共存できる持続可能なライフスタイルと、それを望む人たちの総称
ロハスの6つのキーワード - ソトコト2005年8月号別冊付録チビコトより -
・健康的な暮らし  人の暮らしは「食べる」「動く」「考える」「眠る」といった活動の繰り返し。その循環が健康的であることがロハスの基本です。まずは自分にとって快適な、健康的な暮らしの要素について、考えることから始めましょう。
・自然環境への配慮   暮らしが健康的であると同時に、暮らしを取り巻く自然環境もまた健康であることが、ロハスの実現には不可欠です。暮らしを犠牲にするのではなく、日々無理なくできる自然環境への貢献とは何かを考え、実行してみましょう。
・五感を磨く   ロハスの在り方は、人それぞれ。自分の判断で、自分にとって必要なもの、そうでないものを選択することが求められます。情報や数値による判断だけでなく、自分自身の感覚でほんものを見つけることがロハスには不可欠です。
・古いものと新しいもの   最先端の技術と、伝統的な知恵。新しい発想と、古くからの習慣。どちらかひとつではなく、新旧それぞれの良いところ、必要なものをバランスよく選びとること。それを自分の暮らしに取り込む方法を見つけましょう。
・つながりを意識する   社会も環境も、自分の足元から地続きでつながっています。食べたものはどこから来たのか。捨てたゴミはどこへ行くのか。買ったり使ったりすると、地球にどんな影響を及ぼすのか。その先に何があるのかをイメージしましょう。
・持続可能な経済   ロハスは都市生活や消費活動を否定しません。便利で楽しい、ハイセンスでカッコいい、そんなモノやサービスによって、人にも環境にもやさしい持続可能な経済システムをつくる。ロハスは経済から、社会の在り方を変えていきます。
もっとも気をつけなければいけないのは、ロハス・ウォッシュ商品です。ロハスで洗ったもの、つまり、本当はロハスでも何でもないのに、ロハスと銘打ってあたかもロハス的だと見せかける商品
http://www.lohasclub.jp/2005/10/post_37.php

--さて自分自身の行動を照らし合わせると・・・ 「階段好き」極力エレベータやエスカレータを使わない※でもヘタをすると階段が使えないビルも有ったりするのは困ったモノ 「自動ドア嫌い」毎日出入りする建物(職場)正面が自動ドア 裏口?が手動ドアなのでいつも裏口からショッピングセンターも手動ドアを探して出入りしている。自動ドアしかない場合は他の人に続いて閉まらないうちに急いで(速度を調整して)出入りしている。次に「シングル3枚折」これは、トイレのトレぺ。体調のイイ時は、20cm程で事足りる。Wロールのトイレットペーパーは無駄になる部分が多すぎるはずだ。4つ折でなく3つ折に上手く合わせることは、適度な感覚をつけることと2長であろう 2006.3.14 

 
と打ってはいたけど、最近どうも うさんくさい。これも商業ベースのひとつの用語にすぎない状態
そもそも日本文化にはきっちり循環するシステムがある(った)のに明治以降、忘れ去り変なセイヨウ思想に惑わされている。横文字使わないでもっと足元を確認しようよ  2006 年末
 
 

 
「事故車両顛末記」



1月3日の事故から1月ようやく決着となったので亡き車への追悼を込めて記載しておきたい。完全な信号無視(赤信号となって5秒後)で交差点を突っ切ってきたトラックに衝突してプラドは大破した訳だが、この車だったからこそ乗員はほぼ無傷といえる。今回、相手(トラック)が明らかな法的違反を犯しているので比率は、0:10 となり相手方の損害保険会社との交渉となった。
損保険会社との交渉の初めは、損保険会社の所有する通称レッドブックと言う時価額の査定本を元に金額を提示してきた。当車はH8だったので査定本には該当年式がなくH11年式からの年式落ち額を換算して提示であった。(11年式111万→H8年式80万)ある程度は覚悟していたが、はやりそう来たかが率直なところ。
しかしこれはあくまでひとつの指標でしかないと先方も認めているので、ここは実勢価格を提示して次の交渉に繋げた。実勢価格は2通りあり 市場での価格とオークション相場とその差は大きく違っていた。AT車は数多く出回っていて走行10万kmで100〜130万 しかしMT&SR(サンルーフ付)は全くなかった。ただでさえ玉が少ないのに海外市場では特別な人気(耐久性のMT 狩猟に向いたSR)があるらしくオークション(1/14)でH9式8万kmだと210万(税別)でも落ちなかった。※程度の悪い cf.下回りサビ付 11万kmでも160万! 
こうした資料を提示して MTかつSRの意義を使用例の写真など添え手渡した。ここからのポイントは、保険会社の担当を如何に味方に付けるかである。とかく感情的になって無理押ししても良い結果となることはない。損害保険会社も所詮組織なので、組織内部でうまく説明できるように筋道を明確にすることが重要と言えよう。当車が21万km走行とはいえメンテナンス全てに関わる記録(手帳や整備請求明細の写し)が有り、撮影活動記録(当サイトの抜粋)なども整理して2回目の交渉の際に手渡した。
その後、四国の店に出た(netで発見)同年式9.7kmのプラドを車両105万(込み込み130万)で購入手続きをしていたので、この車と前車との違いを明確(寒冷地、デフロック、各種ベルト交換歴)させその差を明らかにした表も作成した。3回目の交渉時には120万の提示があったが、事故後一ヶ月間の撮影不能の保証(この冬、4駆の代車が無いことへの代償)等を求め前記資料を渡し、翌日最終的には125万円の車両補償額となった。
ここで損保会社内部でどのような説明資料(80→125万)を作ったかは明かではないが、今回担当者との協調が重要だといえよう。(たとえば、机と向き合う初対面でも次回からは机を並べ隣り合う面談なども結構プラスになるモノと感じている。) 
事故った場合、当てられ損とはわかっていたが、それでも何とか折り合いがついたと納得させている。次の車は四国育ちの寒さ知らず(寒冷地仕様ではない)でリアデフロックもないから過保護にしないといけないかも・・・ 2006.2.7 
 
 
 
 
「エコとエゴ」


 今、日本の資本社会では「エコ」がひとつのキーワードとなっている。国を上げてのイベント化している感もあるけど本質からかけ離れたモノもあるので要注意だ。本来ヒトは、さまざまな物質を消費しないと生きていけない。消費するにしても、いかにエネルギーを使わないようにするかを常に考えることが求められているのだ。たとえば暖房。まず電気を使う機器は、エネルギー効率からしてエコとは言えない。それは電気を作るのに既にエネルギーを消費している(火力や原子力などから熱エネルギー化させ水蒸気を回して作っている)からで、これを再び熱エネルギーにすることは無駄の最たる例といえよう。エネルギー効率からして個別に必要な場所&時間だけで使える石油ストーブがイイといえるだろう。(北陸では太陽エネルギーに期待できない)電気をなるべく使わないようにすることが身近で効果的なエコである。たとえば、外出先では、階段をつかう。自動ドアを避けて通る。トイレもウオッシュレットを使わない。またやむをえない場合もヒートを弱に変えておく。そして紙もきっちり折り込んで無駄なく使う。これをセコいではなく、当然と思う風潮にしないと本当にエコが広がったとは言えないだろう。不用意にモノを買わない。買うときはランニングコストを考える。便利さの追求と反対に向かう意志を育てなければ消費型エコ(エセエコ)になってしまう。そうした積み重ねもさることながら、二酸化炭素排出量を下げるに一番なのは、人口の減少...となるのが皮肉の結果だったりして  2005.12.14 

 

「自然災害と自然破壊」


ヒトは、カシコくなったのか それともおろかになったのか 元々ほんとうは、よわいものなのだ
白馬岳大雪渓の杓子岳からは崩壊土砂が常に落ちており偶々運悪く遭難事故が起きてしまった。被害された方の冥福を祈りたい
http://www.asahi.com/national/update/0811/TKY200508110116.html
山では(も)絶対安全なことはありえない。

根本的に知らないといけないのは山が崩れるのは必然的なことである。これを人為的自然破壊と短絡的に結びつけているヒトが多いのも現状のようだ また異常気象と決めつける種族もいるので困ったモノである。
日本の山はほとんど壮年期であるので山が崩れて川に土砂がながれてくるのは自然の当然の形であることを認識しないといけない

逆にヒトが入り込む場所のほうが道幅も広がり浮き石が除去され安全に歩けることを知っているだろうか

雨が降れば地盤がゆるみ、雪が融ければ崩壊、ヒトの住む平地の生活が便利になると本来の自然を知らなくなったヒトにとっての自然はきびしい世界であることを忘れてしまう。 2005.8.11


「世界遺産(自然)」

先日知床が世界遺産に登録されたという かって学生時に訪れたことがあったが当時と比べて点的にはヒグマが増えた?ことや知床道路の通行規制などあるにしても今も基本的に変化がない 一番の要素は都会からすぐにいけないことがあげられるであろう さほど増えなかった入り込みの数がそこを守っているのだ  ここに来て「世界遺産」自分のふるさとのひとつ北海道にこのような場所があるのは誇らしいことではあるが、少々引っかかるものがある。たとえば熊野古道のように複合文化であればまた状況は別であろう。日本古来の文化を知るきっかけとなるからでこれは評価に値するであろう。(苔むした石畳がかすれていくなどの声も聞かれるがこれはおかしい 道は使ってなんぼのものなので苔むした道が好きなヒトは他の古道めぐりをすればいいのである) 自然遺産は指定されたから何なのかと 指定されたからといって知床の自然風土にプラスになることはあるのだろうかと 知らないヒト(行ったことのない)にとってはより魅力的な場所に映るだろう でも余計なお世話なのである。物見遊山の多くのヒトが押し掛けるだけで問題点を増やすに過ぎない 世界遺産・・・所詮商業主義に帰属する証明書にすぎない気がする。 2005.7.30
 
 
「インターネットの妄想」

確かにインターネットは、あらゆる世界を身近なモノとし情報を気軽に入手することができる。しかしこれは一つの手段だと意識しないと本末転倒に陥ってしまう。某組織も時代の流れに先行しようと電脳化を進めている。ところがいつの間にか手段であるはずか、目的にすり替えられ利用者や使用者が置き去りにされている。ひとつの例がこれで利用者無視・管理者も何のためのシステムか解らなくなっている。ヒトは本当に賢くなっているのか?処理できないところまで機械化しても不幸になるのはヒト自身であることを忘れないように 2005.4.15
 
 
「現場を知らない気象庁」 

富山市では一時70cmと去年を上回る積雪。この1週間、交通機関が混乱し誰もが天気予報に聞き入っていた。しかし例によって誤予報が絶えない。そのひとつが「峠を越えた」の発言。寒気の流入がひとつでそれが去ってしまえばたしかにそうだが、今回は寒気がいくつも続けて来てそのひとつが抜けたからといって降雪が収まるわけでもない。今回積雪深がMAXになったのも峠を越えた発言の翌日。性懲りもなく舌が乾かぬうちに毎日同じことを言っている。一般人は「峠を越えた」と聞けば今以上に交通に支障が及ぶ降りにはならないと思うのが普通であって、予報官はそうした一般の感覚がないらしい。さらに実際に降雪しているのに雪は降らないとコメントするのを聞くとまさしく外に出ず机上でデジタルdataに頼り現場を知らないモノであると実感する。 2005.2.4
追記:今日、札幌の積雪がゼロになったと在京の気象予報士 これで札幌には雪がまったく無いと思っている。基本的に日なたにある観測地点は無くなったかもしれないが、日なたでもまだ残雪はあるし当然日陰には雪が残っているのが解らないらしい 2005.4.15
 
 
 
「デジタルカメラ考」 

デジタルカメラが従来のカメラの売り上げ台数をとっくに追い越し、一眼タイプもついにデジタルが従来型を上回ってきた。当方のデジカメ歴はこのサイト開設のほぼ同時期で現在5年目。いずれもコンパクトデジカメの6台買換である。1台目は「写る」程度の130万画素が今では500万画素。対象によっては35mmフィルム写真と遜色なく写る。起動の早さやバッテリーの持ちなど基本的機能が満たされスナップではほとんどデジタルカメラと換わった。その中でデジタルでしか出来ない表現もみえてきた。フォーマットが小さい分、被写階深度が深くマクロに強い。なおかつ望遠にも容易に対応できるのだ。しかし階調表現は乏しく大伸ばしには弱いのが欠点である。今まで(フィルム写真)も使用目的によってフォーマットを使い分けていたと同様に新たな選択肢が増えたモノとみるべきであろう。いくら技術が進歩してもフォーマットサイズの差を埋めることは困難と思われるので中判・大判カメラは今後も存在は揺るがないであろう。デジタルがメインに成り得ない理由のひとつとして冬期の山岳での夜間撮影が想定される。そもそも電源がないと単なる物体でしかないので信頼性はが期待できない。もう十数年すれば省電力化された中型デジカメができるのであろうか?その日までデジタルカメラはサブ機種のままなのである 2004.8

 

「キライなCM」

テレビやラジオで流される情報のうちコマーシャルは、いやおなく何度も聞かされることが多い
テレビには画像があるのでその表現方法は容易に多彩となり得るが、一方ラジオは音声のみなので見えない分その内容を思わせる工夫が求められる。しかし不快に思えるCMがより耳についてしまう。よくありがちなのは、同じ単語を連呼するものがある。たとえば選挙の宣伝カーよろしく覚えさせるには絶大な効果?が期待させるが、これが良い印象を与えるかはまた別の話であろう。
さらに個人的にキライなのは、自動車保険のCMだ。その多くは社会的責任を放棄させる内容であるからだ 事故を起こしたのにその加害者は何もしなくとも許されることを平気で広めている。このため加害者が容易に開き直り、被害者はまさしくもらい損でやりきれない感情を助長させる
事故の重大さを忘れさせ 被害者以上に加害者が優遇されてしまうのだ


 
「北陸?」

富山県は北陸地方とされている。しかし行政省庁によって分類が異なっている。富山・石川・福井の北陸3県が一般的であるが、新潟を加えた北陸4県、そのほかに東海を加えた中部地方、他に新潟・長野も括る北信越、富山と前記2県の北信越、岐阜愛知長野との4県で括る分類もあったりする。
これらの原因は旧運輸省、旧建設省、などの旧態以前の分類がまだ残っているからややこしい
一番の弊害は気象庁での区分 北陸地方は新潟を含めた4県で括られている。たとえば梅雨入りや梅雨明けなど4県全部のクリアしないといけない。北陸3県でさえ東西に長いのにさらに長い新潟を加えると福井の敦賀と新潟の新井を同一地方とするのに無理があるのも当然だろう
お役所の安易な都合で分けられているに気づかずに?マスコミもその発表に右往左往しているのは情けない気がする

 
 
「遭難報道の不思議

 先週の大雪の際に福井と石川県境の山中で遭難騒ぎを起こした山行団が話題となった。大雪になる見込みを判断しかねて山中に入り込み身動きできなくなったことは承知のとおりであるが、ここでなぜ山での遭難がこれほどに話題(というか批判の対象)になるのか少々不思議である。
 実際 山での遭難よりも海での遭難事故の方が数倍も多いのにこれはなぜかあまり話題にならない。海で遭難すると即生命に関わるのでストーリー性がないからなのだろうか。山でたとえ遭難してもまだ地上なだけに生存する可能性があることでこの課程をマスコミは取り上げるのだろう。こんなことで 山=危険なものだと、一般人は誤認識してしまうのだ。
 一方、当事者は気象状況の収集が甘かったなど結果論で偉そうに?事を語るエセ気象予報士などもいるが、この遭難騒動よりも一連の交通機関の乱れやその対応のまずさなどそれを予期できなかった気象・交通・行政等関係者の方がはるかに責任は重いモノではないだろうか。ここまで大雪になると予想できなかったなどと、のほほんとあとからコメントする方が、何も問われないのはなぜか矛盾を感じてしまう。「想像できない大雪でした」と陳謝の記者会見すべきなのは予報官と交通管理者でないの?今回の大雪を読み切れずにさまざまな社会的影響を与えたのに較べると、山で遭難したモノたちの騒動などはるかに微々たるモノと思うのだが (それとも 山=遊び=けしからん だから?)
 

「合理化がもたらすモノ」

この冬は富山平野でも各地で積雪50cmを越えた。今回の降り始めが真冬日だったことが交通障害を拡大させた。北陸では積もった雪を水で融かすことが一般的で積雪し始めると勝手に水が出る仕組みになっている。そのため周囲が氷点下であってもわざわざ水が出て凍らせてしまうのだ。線路やポイント、交差点など主要な場所を凍らせてしまう。こうなると直ぐに復旧させることなどはできない。これは、近年急速に進んでいる合理化の影響で、こんな緊急時に対応することなど想定していないからだ。

いわいる公共サービスは、あって当然など思う一般人は、文句だけは一人前。渋滞・不通になっている交通機関にクレームをつけている。
合理化された今の社会で急な事態に一体だれがやると思っているのか

こうなることを逆に予想できるようにしないとカゴに飼われた動物になってしまう。2004.2
 
 
「企業の規模

企業の規模や組織が大きくなることは必ずしも良い方向に進むとは限らない。
自動車会社topの起こした漏洩問題は、その地位ゆえ起こした奢りと社会性を見失った結果といえるし、デジタル機器で躍進している企業は、徹底してコストを削減した結果でその裏に旧ユーザーを切り捨てていたことは忘れがちでもある。
宣伝に惑わされずにどの企業の品を信頼して選択するのは、非常に難しいことに思える。
小規模で常に使用者サイド側に立って対応していた企業でも次第に組織が大きくなると対応は定型化され使用者側とは溝が出来てくるのはやむを得ないのか
口コミで評判の店もやがては客が増え規模が大きくなると質が落ちるのはありがちと思わなければならない
かと云って数年前不良車隠しで名を馳せたM社の車を先日3日間運転する機会があったが、相変わらず運転操作の悪さ(ブレーキペダルとアクセルペダルの高さが合っていない・運転するモノの視点を考えてハンドルやバイザーなどの位置が?)に閉口したので所詮は自分自身で確認しないと結論はだせないものであろう
 
 
「地方と都市

 話では解っていても都市部(首都圏)と地方との感覚のずれは両方に住んでみたモノでないと理解しがたい。たとえば情報量の違いは顕著で都市部ではテレビや雑誌などから溢れるばかりに浸されて、全てが現実で何がホントかの判断がマヒしがちである。この多くの情報の中で如何に目立つか多くは湾曲されていることに気がつかずに信じてしまう。誇張・架空・仮定の内容を常に見極めていないとならない。
その点知らないでもすまされる地方は恵まれているのだろうか しかし少ない情報のほとんどは都市部中心で見ているだけでもアホらしい。それでも都会羨望と思ってしまう個体もでてくるので余計地方文化が衰退に向かいがちである
このサイトの内容も小生の経験体感した一方的な感覚によるところなので最終的にどう判断するかは受け取る側に委ねられている。
 
「異常気象?」

 世間一般は、常に何かに定義付けしないと気が済まない性格をもつ
2003の梅雨明けも明け切っていないのに気象庁は出してしまった。
遅れ気味でマスコミからの問い合わせも異常であったのだろう。
 でも気圧配置や週間予報を見てもまだ先だと確信できるけどね

 今月の涼しさを即「異常気象」と決めつけたがる。本来30年確率で起こりうる
事象を上回る状況を差すのだが、平年よりも少しでも異なると、騒ぎ出す。
 普段からお天気を気に留めていないと平年の動きでさえ読めないのに

 実は「平年並み」と云うのが一番のクセモノで、単なる平均は実は少ない。
平年値を中心に30年間大きな幅を持っている。
 この幅を超えて初めて「異常気象」とされる

 マスコミで誇大広報の予報官の一般受けネラい発言が余計に助長する。
 何かと犯人にされる「エルニーニョ」 これは原因ではなくひとつの現象なのに
これが原因と片づけられてしまう。南米西海岸の海水温の変化の原因を探ること
が重要なんだよ。
 
 情報は多いのに超したことはないけど、判別する眼を持たないと本当のことが
解らなくなってしまう


「電気料金」

 相次いだ電力会社の原発トラブル隠しに伴う操業停止がもう収束に向かいそう
だ。しかしこれを契機に停電になれば良かったのにとも思える。あまりにも無頓着
な日本人が増えたのでもっと危機感を与えないとますます増殖する一方となるか
らだ。
 電力会社の罠として深夜電力割引がある。一旦動かせば止められない原発の
為の策であるが、電力消費を助長させ効率の悪い蓄熱式システムを推奨してい
る。電気料金だけの安さを全面にだして詐欺商法とも思える。地球にとってもっと
も逆行するシステムを盛んに宣伝している。全体をみれば見るほど効率の悪い原
発なのにそれにぶら下がる業界があるためかこの国では禁句となっている。

 推進側の言う原発の電力単価には、ウランを採掘精製する化石エネルギー・
地方から消費地へ送電するエネルギーロス(なんと30%) そして廃棄物の処理
管理エネルギーは、当然考慮されていない (公表すると確実にできないからね)

 今は問題を先送りしているだけ・・・

 ※単に反対しているのでなく、どー見てもメリットがないんだよ

 
「真実と現実と事実」

 またしても一国のエゴが満たされる結果になるのか。得をしたのは首謀者の配
下の軍事産業だけで、その他みんなマイナス。この場に及んで目に余るのは事態
を一元的にしか見られないマスコミも存在していたこと。その新聞やテレビの内容
には侵略した側の視点でしか報道されていない。背後の情勢もいかに多く伝えら
れるかが真実に迫る報道だろう。現地の一面の現実だけを捉えてのコメント流すメ
ディアもあるので要注意だ 
 事実は現実を多く見れば近づけるが、真実に迫るには観る目を鍛錬しなければ
近づけない


「現実と架空」 

 実際その場所で何が起こるのか知らないで(見ようとしないで)机上の操作で事
を起こそうとしている。
 同じ事が身の回りにもあるのではないか 
 テレビなどの画像の世界は現実のようでそうではない。これはカメラの向いた範
囲しか写らず客観的視点ではないことを忘れては行けない。
 映画やゲームの類も同様だろう あくまで制作者が居て、見る側を誘導・操作す
ることを前提とした内容である。浸るのも良いとしてもその世界に満足してはいけ
ない。
 たとえば郊外での星見会において満天の星空を「プラネタリウムみたい」と表現
されると閉口してしまう。刻々色と風の変わりゆく日出の情景を「映画みたい」と評
することしかできないのは悲しいかなそのヒトの感覚がバーチャル世界(映画)で
マヒさせられているのだ。

 先日下弦の月がもたらす情景を見に行った。中天に昇る月を見ながら車を走ら
せると月明かりに照らされた雪山が前を左を動いていく モミの樹は真っ黒なシル
エットでうっすら明るい星空を背後に廻っていく 後方の月がルームミラー越しから
飛び込んでくる・・・

 室内でテレビやPCに浸かって眼を痛めないよう自分の眼だからこそ見て感じら
れる時を大切にしたい。映画やテレビの造る映像も文化のひとつではあるが、
自然の生の情景にはかなわないから
 
 
 
「天気予報と予報官」

 空や星を見る者にとってお天気には人一倍関心があり敏感である。
 時に北陸に住んでいると局地的に雲が掛かったりすることも多く気象衛星画像
を睨みつつ その後の雲の動きを予測することが欠かせない。
 数年注意深く動きを見ていると傾向が掴めてくる。
 天気予報は過去の動きから推測してその後の予測を立てていることには、今
でも変わりはしない。この動きも地球レベル、中緯度レベル、局地レベルといくつ
もの要素があってその時の状況を過去のデータと比較し同一傾向かどうか以前よ
りも範囲を広げて確率を上げようとしているが、所詮 最終的には予報官が主観
的に判断している。一般的お天気ならともかく、その場所に雲が掛かるか如何は
まったく別である。
 地方の予報官はその場所に長く住んでいるわけでなくせいぜい5年のため、特
に着任当初の予報はよく外すのも当然か。
 マスコミに出没する気象予報士もその多くは都会に住み日々実際に肌で感じて
いることはなく一方的情報収集による判断でしかない。
 netが普及し気象衛星画像や高層天気図が容易に見ることができるのでその
地方に長く住む者が肌で感じながら判断したほうが確率はあがるは当然だろう
 
 
 
「花粉症」

花粉症の話題が日常から出てくる季節となった。
そもそもスギの花粉だけが原因ではないと少しは広まってきたが、それでも短絡
的に罪無きスギだけのせいにしているマスコミもいるから困ったもの
実は信州から富山にきて数年間3、4月は目や鼻が悩まされた。しかし最近は食
生活に気を使いコンビニやファーストフードなど如何にも妖しそうな餌は採らないよ
うに かつ市街地での車の走行は外気の取り込みを極力しないようにしている。
そのためかここ数年は以前の症状は出ていない。
植物の花粉はどんな種類にしろ遙か昔からあったもの。それよりも汚れた大気を
すって、混ざりモノ(見た目の色・腐らない・見せかけの味)に染まった餌(あえて
エサ)を食べていておかしくならない方がおかしい。
花粉のせいにしないで、まず自らの食生活をまともにすることが解決方法では
 
ではまともな食生活とは?
人工甘味料・保存料・香料の類は極力さける
そんなこと言ってたら食べるモノがない?そんなことはない 探す努力をしていな
いだけ 身近なコンビニ・安売スーパーの品は、まず怪しいと疑うべき
見ためはよく、保存が利いて、食べた一瞬の味付けがイイ? それはだましエサ
の象徴 特売品や新商品は超くせ者 たとえばY社のパン 1週間たってもカビない
不思議 CMに騙されこれを旨いと信じるものもいるそうな。次に清涼飲料水全般
特にC社 代表銘柄は濃縮原液を割って使っている。米国で一括生産なので保
存できるよう何が入っているのかな  各社お茶の類も疑わしい 昔から宵越しの
お茶は如何と言われているのに、長期間持つはずがない。
保存できるように見せたのは怪しい混ぜモノを入れたからだよ

やらせテレビ番組を鵜のみして健康食?を食べるより、普段から悪いモノを食べ
ない方がよっぽどイイのに  
目先の便利さを求めると寿命を短くし苦痛も後からついてくる
 
ただし個人差が大きく根本的に改善しないと花粉敏感症から脱出できない例