ライン葉っぱ

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毎月1回 各ポストが当番で担当しています。やさいの会の情報 つぶやき。

りんご園


葉2
葉1
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葉4
2002.11.8に地すべりで崩れた
山川さんのりんご園
その後、どんな状況なんでしょうか。
ないも出来ない苛立たしさがあります。
祈るしかできません。
*中東はなぜもめているか?*
# 日本より西にあるのにどうして中東というのか?
     これはヨーロッパから見た呼び名。東のはずれ=極東にあるのが日本
     極東とヨーロッパのまんなかあたりにあるから中東。ヨーロッパが中心の
     見方。
# パレスチナ人はどんな人たち?
     「パレスチナ人」とはパレスチナという土地に住んでいた人たちのこと。
     その多くが、アラブ民族で、イスラム教の信者です。パレスチナと呼ばれ
     る土地には今、イスラエルという国ができています。イスラエルという
     国ができ、それに続く4回もの中東戦争で、それまで住んでいた土地を
     追われた人たちが、パレスチナ難民です。
# 聖書を信じるユダヤ人が作ったイスラエル
     イスラエルを建国したユダヤ人は、キリスト登場前の旧約聖書だけを信じ
     ユダヤ教徒です。ユダヤ人とは、ユダヤ教を信じる人のことをいう。
     旧約聖書とは、旧訳ではありません。つまり、神様と人間の約束のうち
     古い方という意味です。新約聖書があたらしほうの約束です。
# 旧約聖書の約束
     この旧約聖書のなかで、神は人間に「カナンの地を与える」と約束しました。
     そこでユダヤ人にとって、カナンの地は「約束の地」と呼ばれるけど、この
     カナンが、今のパレスチナであり、イスラエルがあるところです。
# ユダヤの王国
     紀元前10世紀から6世紀にかけて、ここにはユダヤ人の王国がありました。
     が、王国が滅びた後、ユダヤ人たちは次第にヨーロッパ各地に移り住みよ
     うになります。ヨーロッパはキリスト教を信じる人が多いので、ユダヤ人たちは
     いじめられます。キリスト教の信者からすれば、ユダヤ人はキリストをはりつけ
     にした人たちの子孫だからです。嫌がらせを受けるユダヤ人たちは、自分たち
     の国を作ろうという運動をはじめます。もともと神様からもらったと思っている
     パレスチナの土地を買って、ここに移り始めます。
# イギリスのせいで話がこじれる
     第一次大戦中、イギリスは中東を支配していたオスマン・トルコと戦います。
     イギリスは、トルコに支配されていたアラブ人を味方につけるため、パレスチナ
     に、アラブ人が自分たちの国を作ることを認める約束をしました。この時、イギ
     リスから送り込まれた情報部員が、アラビアのロレンスといいます。
     その一方で、イギリスはこの地域に味方の国家ができれば、イギリスにとって
     得になると考え、ユダヤ人グループにも国を作ることを認めました。
     第二次世界大戦後、イギリスの約束を信じてユダヤ人が大量に移住してきま
     した。大戦中にはドイツはユダヤ人たち600万人をひどい目にあわせた事実
     もあります。ユダヤ人たちは、「自分たちの国を持っていないからこんな目に
     あうんだ」と考え、続々とパレスチナに移り住むようになりました。
# イスラエルの国
     イスラエルは1948年5月14日、建国を宣言します。でも、まわりのアラブ人の
     国々にとっては、アラブの土地だと思っている場所に、突然よそ者が国を作っ
     たことになるわけで、怒りました。建国宣言の翌日、アラブの国々の軍隊が
     イスラエルに攻め込み、戦争になりました。これが、第一次中東戦争です。
     この戦争は、イスラエルが勝ちました。その後もアラブ各国とイスラエルの間
     では、三回も戦争をして、イスラエルは土地を広げていき、この結果、およそ
     230万人のアラブ人が、住む土地を失って、まわりの国に逃げ込みました。
     これが「パレスチナ難民」です。
# パレスチナ人自治政府認められる
     イスラエルが領土を拡大した事にパレスチナ人が反発し、パレスチナとイスラ
     エルとの間で、もめごとが続いています。
     しかし、1993年、イスラエルが支配していた土地の中に、パレスチナ人たちで
     政治を行なえる『自治政府』ができました。ここに自分たちの国を作ろうと考え
     ましたが、イスラエルはそれを認めようとしません。
# 2001年12月12日 
     イスラエルのシャロン首相は、パレスチナ・アラファト議長との関係を断交。
     <パレスチナ暫定自治合意>(オスロ合意)
     イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)がノルウェー外相らの仲介でオスロで
     秘密交渉を続け、1993年に相互を確認し、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ
     地区でのパレスチナの暫定自治を認めた。94年に先行自治が始まり、イスラエ
     ル軍が両地区の一部から撤退し、パレスチナ警察が展開。95年の自治拡大
     協定でベツレヘムなど6都市も自治区に。それ以上の自治拡大やパレスチナ
     国家の独立、双方にとっての「聖地」エルサレムの支配権などをめぐる最終地位
     交渉は、2000年秋のインティファイダー(民衆ほう起)開始後、完全にいき詰ま
     っている。

つ ぶ や き

≪穀物の収穫≫
9月は穀類の収穫の時期です。収穫には穀類の機械がそれぞれ専用があり、柳原では機械を使ったり、昔ながらのたたいて脱穀し、ふるうやり方も組み合わせて行いました。
7月下旬から収穫した枝豆は大量を選別するために、機会の助けが要りました。刈り取ったままを専用に機械に入れると、内部はせんばこぎのようになっていてさやごとが一個づつはずれて出てきました。それを洗ってごみをとりネットの袋に入れて脱水機にかけます。そしてすだれにひろげて良い悪いを奥さんが選別するのです。早朝から重吾さんと奥さんが二人でやりました。
大豆については一部は刈り取って干しました。それから奥さんと私がビニールシートの上に座り、まな板の上に大豆の束を横にして置き、軽い木の棒を持ってたたき出しました。簡単にはじけて出てくるものやら、しごくようにたたいて固めの皮からはじき出るものもあり、シートの上が大豆だらけになった後、それを集めて重吾さんが箕に入れ、箕を細かく前後に動かしながらごみを向こう側へ押しやって落とし、大豆のごみを除きました。また大豆の多くは畑でよく干せるまで待っていました。それから刈り取って大豆用の脱穀機に入れるとあっという間に脱穀された豆が袋にたまってきました。この機械は豆をさやから出し、荒い感覚で金属がはめてあるすのこのようなものの上に全体が乗り移ってゆすり、豆の重みと殻の軽さで重い大豆が下に落ちからが外に飛ばされ,分離していました。
また初めて重吾さんが粟とキビを栽培してみました。9月半ばに刈り取り逆さに干し、たたいて脱穀し、箕でふるったそうです。これからの製粉方法は思案中だそうです。玄米やもちに混ぜるとの事です。昔のやり方、機械の作業、どちら感心させられます。
蕎麦も栽培中で、今は白い花が咲いています。蕎麦専用のコンバインで刈り取り、脱穀とを一気にやるとの事です。えごま、ハブ茶もこれからやります。

≪ファースト・フード―スロー・フード    ハイテク―ローテク≫
今『スローフード』という言葉がブームのようです。私は今年の正月に読んだ本で初めて出会いました。ファーストフードに対抗する食品とのこと。手間隙かけてつくる食品。野菜の会の人たちが昔から関わって心がけてきたやり方。私たちには新しい事でもなく当たり前の事なのですが、今それを見直そうということで登場した新語のようです。またテレビで最近見たのですが、町工場の社長さんで、金型プレス加工の長年の職人さんが言っていた言葉なのですが『ハイテクの中にあってもわしらのローテクがないと作り出せないものがある。職人の手によるところは大きい』というような内容だったか。『ファースト』や『ハイ』しかなかった言葉に『スロー』や『ロー』と改めていわれてみると、かえって新鮮に思えました。時代がそういう方向に向き返ってきたのか、私自身がそういう言葉に感じやすくなったのかとも思うのですが・・。



≪ハーブとの出会い≫                               
この夏は例年にない猛暑でしたが、ようやくしのぎやすい季節を迎え、ホッとしているところです。けれで夏ばての後遺症を引きずっている人もおられるのではないでしょうか。そこで手近かなアロマテラピー、即ち芳香療法で心身のリフレッシュを図られてはいかがでしょうか。てな前置きはいかにもハーブどうに精進しているかのような物言いですが、実はハーブについての専門知識はゼロ。ではなぜ『表題』なのか?自己流ハーブに接したきっかけを少し述べてその問いに応えたいと思います。
88年の春、小生が企業社会に別れを告げた頃、近くの土地を借用。お百姓気取りで念願の野菜づくりをはじめたわけです。『野菜の会』との出会い、『鳥越自然農場』でやしなった生半な農業体験を根拠に“腕に覚えあり”という倒錯した思い上がった取り組みだったよう気がします。はるかに海を臨むゆるやかな斜面に広がる300坪ほどの畑地でした。ふらつく足取りで潅木沿いの小径を下りながら、天空にもゆる落日を幾度浴びた事でしょう。記憶のかなたに浮かぶあの光景は今でも脳裏に焼き付いてます。けれど現実は厳しく加齢に伴い体力の衰えは人力農作業の限界を示すものでした。そんな秋に知人からラベンダーの刈り込み枝を分けてもらったのです。『裏山の野菜づくりは諦めても、土いじりの妙味を捨てる事は出来ない』ラベンダーの小枝を土にさして苗を育てたのがハーブとの馴れ初めだったよな気がします。今では、ラベンダー・ローズマリーを筆頭に拾数種類のハーブ
をランダムに栽培しています。たまの来客にフレッシュハーブティーを振舞いながら自己満足の昨今であります。お茶にはレモングラス・ミント・カモマイルなどがオススメです。またほとんどのハーブが浴用可能で、種々の芳香が楽しめるはずです。この年齢になりようやくハーブを通して庭仕事の愉しみが分かってきたのかも知れません。どなたもハーブにふれて、自律神経の賦活を試みてみませんか。

 


http://mytown.asahi.com/ishikawa/newslist.asp?k=11

 朝日新聞石川版に連載されていた『公の風景』柳田村から 

元会員が柳田村に住んでいます。住んでいても知らなかった
ことや、そうだったのかと思うことが連載されています。

元会員から、元気がわいてくる本の紹介

200万都市が有機野菜で自給できるわけ

《都市農業大国キューバ・リポート》

著者  吉田 太郎