L1000復活 “project F”


 これはFIDELIXのダイレクトカップル型MCカートリッジMC-F1000(2020年1月現在未発売)用のコイル。ホームベース型の五角形のコイルは直径1mmの円に納まってしまうほどの小ささで、コイルから伸びた線に至っては、肉眼ではほとんど視認困難。これを使って断線したビクターMC-L1000の再生を目指します。が、はたしてこんなものを扱うことができるのか…ふと中島敦作品集「李陵・山月記」に収録されていた「名人伝」が頭に浮かぶのでした。


MC-L1000、逝く

 2019年の夏のある日、私はいつものように気分よくレコードを聴いていた。

 カートリッジは、かつて長岡鉄男氏がリファレンスとしていたことでも有名なビクターMC-L1000。スタイラスチップの直上に取り付けられた極小のプリントコイルで発電する、所謂ダイレクトカップリング方式のMCカートリッジである。生産中止になってもう30年ほどが経過、ネットオークションでは程度の良いものは20万円近くの値がつく。といったようなことは、このページを訪れるような方にはおそらく釈迦に説法だろう。

 といっても私の手元にあるこれは、この4ヶ月ほど前に、動作不良の「現状品」としてネットオークションに出品されていたものである。
 そのときの出品説明によれば、左右の音量が揃わずボディー底面が盤を擦るそうで、写真でもスタイラスチップが塵に埋もれ全体が薄汚れた感じの、見るからにやつれた個体なのだった。そんな見た目でも入札する気になったのは、なんとなく可能性を感じさせるものがあったからだ。

 少しばかり張り合った結果、幸か不幸か落札できて私の手元にやってきた。


手に入れた直後に開けてみたMC-L1000の惨憺たる内部。ギャップが汚れで埋まってしまって「地続き」に…心の中は「ウェー、ゲロゲロ」。

 本体下部のカバーを外して中を見たら、はたしてプリントコイルが納まるべき磁気ギャップにはペースト状になった塵がぎっちり詰まって、前後のヨークが繋がってしまっていた。これではまともな音が出るはずもない。

 ギャップを埋め尽くしていた汚れは、先をカッターで削った爪楊枝と、細く切ったマスキングテープを駆使してきれいに取り除いた。塵の中から掘り出したスタイラスチップの表面は思いのほかピカピカで、肝心なラインコンタクトの峰の部分にも特段の磨耗の跡も見られなかった。塵の山に守られていたのかも。
 ただ、チップの装着の精度が今ひとつで、ロール方向、ヨー方向ともに少しばかり傾いでいる。これについてはさすがに経年のせいということはあるまい。手持ちの他のカートリッジでも、スタイラスの植わり方が残念なものが時々あるから、やはり小さなものの工作はメーカーでもそれなりに難しいことなのだろう。
 懸念されたダンパーのへたりは、幸いボディー下部カバーがなければ全く問題ないレベルだった。カバーを付けたらギリギリか。カバーはないほうが音がすっきりするし、私にはむしろ掃除しやすいので、この状態で使うことにした。

 こうして積年の垢を落としたMC-L1000はすっかり蘇り、問題なくいい音で音楽を楽しませてくれるようになった。

 突然の異変が発生したのは曲が始まって程ない頃だった。右chからボソボソっという音がしたと思ったら、すぐ「ブーン」というノイズが音楽をかき消した。

 頭に浮かんだのは「断線」の2文字だ。
 テスターであたってみたところ、意外にも「導通なし」ではなかった。右chの抵抗値が5.4MΩという異常に高い抵抗値を示したのだ(左は正常)。これはつまり電路が文字通りに「切れた」という訳ではないらしい。
 このプリントコイルというのは、コイルとリード線が一体になって極薄のフレキシブル基板のようなものに作り込まれている。その薄い薄いプリントパターンの電路にびっしり並んでいるはずの銅の原子たちのどこかに少し疎遠になってしまったグループができて、電子の受け渡しが皆無でないまでもほとんどなされなくなってしまった、というようなことなのだろう。
 いずれにしても、このMC-L1000はもはや使用には耐えない。結局のところ、私の手元にやってきたときに残されていた寿命はたったの3ヶ月ほどだったのだ。

 ハァ… 

 一旦は大いに落胆した。のだが、思い出した。ネットオークションでこのMC-L1000に出会ったあのとき、そもそも私が本当に探していたのは、MC-L1000でも、その断線品だったではないか。

 私はあのとき、milonさんのブログの記事を読んで自分もFIDELIXのコイルを使ってMC-L1000を再生するという経験をしてみたくなり、改造ベースになる個体を探していたのだ。それで出くわしたのが、まだ断線まで至っていない不調品のL1000だった。左右の音量にかなり差があるようだったので、もし中を掃除して治ればそのまま使えばよいし、治らなければ治らないで当初の目的の改造ベースになる訳だから、というつもりで入札したのだ。結局3ヶ月ばかり使ったところで、図らずも当初想定していたストーリーが戻ってきたのだ。

 なんか、俺、導かれてるっぽい?…コウナッタラモウ、ヤルシカネージャン(^^。

プロジェクトF、始動

 ヘッドアンプLIRICOの購入を思い立ったのもちょうどそんな頃だった。FIDELIXにLIRICOを注文するのと一緒に、MC-L1000の改造に必要なFIDELIX MC-F1000用のコイルを分けてもらえないかお願いしてみた。そして、LIRICOに遅れること数日、あのコイルが私のもとにもやって来た。

 これがコイルがFIDELIXから送られてきたときの状態。1個ずつビニール袋に入れられている。実は最初、袋の中に何も入ってないのではないかと思ってしまったのだが、目を凝らして探してみてやっとコイルを見つけることができた次第。この写真でもかろうじて写っているのだが、見えますかね(ちゃんと見たい人は画像をダウンロードするか、写真を右クリックで別に表示させるなどして等倍でご覧くださいませ)。
 よーし、このコイルでMC-L1000を復活させるぞう、と意気込むべき場面なのだけれど、こんな塵みたいに小さいコイルをはたして扱えるのだろうかという不安のほうが先に立つ。なにしろ巻いてあるコイルがかろうじて見えるだけで、線の部分は肉眼ではほとんど見えないのだ。そのまま袋から出したら絶対に見失う自信がある。

 しかしビビっていても始まらないので、もうこうなったら覚悟を決めて取り掛かるしかないのだ。

1 左右のコイルをくっつける

 なにしろ鼻息ひとつでどこへ飛んでいくとも知れない微小物体が相手なので、作業はそこらにあったA4サイズくらいの浅い菓子箱の中で行うことにした。少しくらい飛ばされても、箱の中だったら狭い範囲だし、色も白いのでコイルも見えやすいから、探し当てられる可能性は高いだろう。
 ほとんどの工程は実体顕微鏡下の作業となるが、私が持っている実体顕微鏡はニコンのネイチャースコープ・ファーブルミニという小さいものなので、このサイズの箱の中に置いてもまだ周囲には余裕がある。この顕微鏡、5年ほど前に外箱破損のアウトレット品だったのを半値以下で入手したもので、見た目はオモチャみたいだが、さすがにニコンだけあって見え味はよく、しっかり用をなす。

 まずは2つのコイルを接着して一体のコイルユニットにする。2個のコイルは同じ平面に並ばなければならない。また、発電に直接関わるのはコイルの五角形の周のうち最も長い辺にあたる部分だが、その延長線が正確に直交するように配置して固定される必要がある。コイルをひとつずつカンチレバーに載せるとなると、2個のコイルの位置関係をうまく整えるのは難しくなるだろうし、そもそも小さすぎて扱うこと自体困難だ。
 コイルを結合するための治具にクリアホルダーを切って使うなど、一連の作業の肝心な部分は上でリンクを貼ったmilonさん(FC2に変わってからはmillionhit515さん)のブログのやり方をそのままなぞらせていただく。ここからの記述では、そうした作業方法は既知のものとして具体的な説明を省略して話を進めてしまうこともあろうかと思うので、そのあたりはご了承願います。

 こんな感じで、2個のコイルを適切な位置関係にしてシートに挟んで接着する。実際は1個ずつシートに挟んでから位置を整えるのだけれど、こんなことからして実際やってみるとものすごく難しい。実はここに至るまでに取り掛かって2日かかっているのだ。しかもこの写真を撮った後、爪楊枝の先につけた瞬間接着剤で接着しようとしたところ、接着剤より先に爪楊枝の軸の部分が触れてコイルがずれてしまった。苦労が水の泡だ。幸いまだコイルに接着剤は回っていなかったので事なきを得たが、まったく心臓に悪いことこの上ない。

 何度も試みるうちにコツが掴めてきたのか、そしてちょっとした道具の工夫によって、程なく結合は成功する。成功時はなんと3分とかからずにあっけなく配置が整ってしまった。すかさず接着剤を、今度は爪楊枝でコイルを触らないように注意深く、しかし思い切りよく投下して、どうにかコイルが組み上がった。接着剤のバリが出たのは、顕微鏡で覗きながらアートナイフで切り落とした。

 接着剤が無駄に絡み過ぎている部分が多く、それも左右で様相が異なっている。今ひとつ残念な出来映えではあるが、それでもなんとか成功した喜びが先に立つ。ともあれ第一関門はなんとかクリアした。
 後はこの組み上がったコイルを元のMC-L1000のプリントコイルと入れ替えれば出来上がりだ。とはいっても、勿論それはそう容易いことではないだろう。おそらくは気の遠くなるような作業になるものと想像されるが、それはつまり見方を変えれば楽しみが長く続くのだ…と思ってゆっくり歩みを進めるとしよう。次に作業時間を取れるときまでは、しばしば顕微鏡で組み上がったコイルを覗いてはニヤニヤしていた私であった、イーッヒッヒッヒッ(いつか見た光景)。

 ところでコイルを挟んだシートだが、上の写真で分かるようにコイルの合わせ目が来る位置に少し切り込みを入れてある。これは接着剤をたらし込みやすいようにと考えた私なりの工夫だったのだが、ちょっと浅知恵の類だったかもしれない。コイルの内側にまで無駄な接着剤がはみ出した原因がこれだった可能性がある。milonさんの例のようにシンプルな直線のエッジのほうが結局は良いようにも思えるが、切り込みを入れるとすれば、その大きさと形状にはもっと検討の余地があるだろう。

2 プリントコイルを取り除く

 MC-L1000の構造はというと、製造しやすいように作ったらこうなった、ということなのだろうが、改造しやすい構造とも言える。有難いことに、カンチレバーの取り付け部分を本体から分離できるように作られているのだ。

 2本のネジを取ればこのカンチレバーのベース部分は外れる。この写真はプリントコイルからのリード線部分だけでぶらーんとぶら下がっている状態だ。一連のコイルの載せ替え作業の大部分は、リード線部分をちょん切ってベース部分を本体から分離して行うことができる。もしカンチレバーが本体に付いたままだったら、コイルの載せ替えなんてまず無理なのではないかと思う。

 まずはカンチレバーからプリントコイルを剥がす。カーボンのレコードスタビライザーにクリップを両面テープで貼り付けて即席のミニ万力をこしらえた。これで取り外したカンチレバーユニットを宙に保持しておいて、実体顕微鏡で覗きながら作業を行う。
 プリントコイルをくっつけている接着剤を、タジマのアートナイフの刃をホルダーなしで使って、息を殺して慎重に削り取る。息を殺しているのは作業が細かくて難しいからばかりではなくて、カンチレバーがベリリウム(毒)だからだ。こんなものに刃を立てて大丈夫なんかな(恐)。しかし溶剤なんか使ったら、スタイラスを固定している接着剤や、下手をするとダンパーまで侵してしまいそうだから、ここはやはり刃物で削り取るしかあるまい。

 プリントコイルおよびリード線部分を取り除いたカンチレバーアセンブリーである。ずいぶん時間がかかったが、まずまず綺麗に取れた。ベリリウムカンチレバーの表面も僅かに削れたはずだが、もう忘れました(爆)。

 いよいよこれに新しいコイルを載せてやる。プリントじゃないホンモノの線を巻いたコイルだぜい、喜びたまえよ。

3 スタイラスチップの直上にコイルをくっつける

 MC-L1000の魅力は主にその発電方式にある、ということにそう異論は出ないだろう。スタイラスチップの直上に発電コイルを配置することで、音溝に刻まれた信号そのままの動きをコイルが拾うことができる。長いカンチレバーを介してコイルが揺さぶられる通常のMCでは、カンチレバーのしなりによるロスと色付けは避けられないはず、という訳だ。
 MC-L1000のスタイラスチップは、もともとプリントコイルを取り付けやすいように、カンチレバーを貫通して反対側にまで長く伸びている。コイルはその根本にごく微量の接着剤で接着する。使う接着剤は、短時間で硬化する瞬間接着剤だと下手をするとコイルが傾いた状態で固定されてしまう恐れがあるので、10分硬化型のエポキシ接着剤アラルダイトラピッドを使うことにする。金田式でよく使われているやつですな。これなら着けてからも修正しながら硬化を待つだけの余裕が持てるはずだ。

 ごく微量のアラルダイトラピッドを、先端を極細に削って尖らせた爪楊枝につけてコイルの接着を試みた。気を遣うのはコイルの姿勢だ。上から見て、コイルの左右方向がカンチレバーに対して垂直になるように目を凝らす。磁気ギャップに綺麗に納まるよう、前後方向の傾きも大事になるが、これはスタイラスチップの角度が目安になる。もとのMC-L1000のカンチレバーと磁気ギャップの方向を記憶に留めておいて、後は目分量だ。

 硬化にほどほどの時間がかかるのがメリットのはずのエポキシ接着剤だったが、やってみると意外に簡単にはいかないのだった。一旦コイルの角度を整えても、そのままではしばらく経つとまた傾いてしまう。これだと固まるまでコイルの姿勢が変わらないようにしっかり支えておく必要があるだろう。

 うまい支持方法も思いつかなかったので、結局瞬間接着剤を使うことにした。エポキシ接着剤で位置はほぼ留まっている状態なので、爪楊枝で姿勢を支えておいて瞬間接着剤で固定しよう。短時間なら問題なく支えていられる。こうして位置、姿勢ともほぼ満足できる状態で固定することができた。

4 カンチレバーにリード線を這わせる

 次はリード線部分の処理だ。ここを乗り越えれば、あとはこのカンチレバーベース部を本体にネジ留めし、リード線を半田付けして完成となる。
 しかし、この太さ、というか細さ0.017mmすなわち17μmの線の扱い難さといったらもう想像以上だ。すぐ切れてしまいそうな頼りなさ、脆さ、思わぬ方向にすぐ曲がってしまう柔らかさ、そのくせ曲がって欲しいようには曲がってくれないしなやかさのなさ。これをカンチレバーの背に這わせて貼り付けて、後方の出力ピンへ繋がる端子があるほうに導くという作業を、それも4本分やらにゃあならんのだ。心を鎮めて、焦ることなく、いやあ楽しいなあ、この作業がいつまでも続いて欲しいものだ、くらいの気持ちで励むがよいであろう。この一連の改造作業の成否は、大部分がこの厄介な細線を如何にコントロールすることができるかにかかっていると言っても過言ではないと思う。

 ところで作業に入る前に、念のためリード線の極性を確認しておきたい。左右各2本ずつの4本のリード線はぴっちり近接させてカンチレバーに貼り付けるので、信号の飛びつきによるクロストーク特性の悪化を避けるために、内側の2本がグランド、外側2本がホットとなるように配置するのが理にかなっている。
 カートリッジ出力の絶対位相は、カートリッジの頭の側から見てカンチレバーが右へ振れるときに出力が+に振れれば正相で信号が出ていることになる、というふうに一応規格で定められているらしい、というのは、たびたび参考にさせていただいているyoshさんのページに教えてもらった知識だ。このこととカートリッジに備わるマグネットの極性、そしてフレミング左手の法則から、4本のリード線がカンチレバー上にどう配置されるべきなのかを判断することができる。(後記:右手の法則の間違いでした。)
 というわけで、方位磁石登場。

 マグネットはカートリッジ先端の方がN極だった。ということは、コイルからのリード線を素直にそのままの配列でカンチレバーに這わせてやれば、内側の2本がグランド、両外側がホットになる、ということでよいはずである。まあプリントコイルの設計上もそうなっているのが自然ですわな。(後記:正しくは、コイルからのリード線は、左右のグランドどうしが内側に2本並ぶようにしたいなら、コイル根元でクロスさせる必要があります。)

 さて、いよいよリード線をカンチレバーの背に這わせる。少しずつ、微量の瞬間接着剤を付けながら慎重に、慎重に貼り付けていく。気の抜けない作業が続くが、なにしろ気が抜けないのと手持ちのマクロレンズでは対象が小さすぎるので、途中の写真はありません。

 そして、やっとこさ、カンチレバーに4本の線を貼り付け終えた。

 カンチレバー背面を這うリード線の様子はこの写真じゃ判然としませんが、まあそれなりに整って貼れてます。ただし、クランプしたベース部分が作業をしているうちに結構傾いていたのに気づかなくて、カンチレバーの背面の真ん中でなく、この写真では奥のほうに少しばかり偏ってリードを這わせてしまったのが美的でなく、やや心残りとなっている。コイルの結合といい、少しずつ出来映えが残念な部分が積もっていく感じがあるが、まあやっぱり初めてだとこんなもんでしょう。

 さあ、あとは線の途中部分をベースの背に接着固定した上で、後方へと線を流してやればよし、と。

 と、ここまでまずまず順調に進んだ、かに見えた。しかし、すぐこの後に思わぬ悲劇が待ち受けていることをまだ知らない。すでにこの段階でそれは運命付けられていたのだが(写真にも写っている)、不覚にも気づかぬままに…

5 絶望しかかるも気を取り直す

 見出しが作業手順じゃなくなってるし、というツッコミでもいただければ幸いです。(爆)

 若干偏ったものの、まずまずうまく4本のリード線をカンチレバーに貼り付けることができたので、気を良くして次の作業に進もうとクリップからベースを外したときだった。

 「!」

 ベースをつまんだ手に、不意に何かが引っかかったような感覚があったのだ。
 何が起こってる?
 ヘッドルーペを付け直して手元を見回して、ようやく状況が飲み込めた。と同時に血の気が引く。

 「なっ、なんじゃこりゃーー!」

 と、声には出さなかったがたぶん思った。ああ、なんてことだ、左chのグランドのリード線が途中で切れてしまっている!
 カンチレバーに貼り付いたところから立ち上がって2,3mmほどのところで、リード線が虚しく途切れていた。なんでこんなことになる?
 周りをよく見たら、切れたリード線のあとの部分はベースをクランプしていたクリップに貼り付いていた。上の写真をよく観れば、奥のほうのリード線がクリップの表面を這うように伸びているのが判るだろう。恐らくは、狭くて浅い顕微鏡の視野の中でリード線の貼り付け作業を行っているうち、接着剤をつけた爪楊枝でいつの間にか遊んでいるリード線を触ってしまっていたのだろう。それが宙に浮いたままなら大事には至っていなかっただろうが、事態は大事に至るほうへ進んでしまったのだ。

 こんな場面で動転していると、大抵は事態をさらに悪くするものだ。が、まさしく私はその悪循環に陥った。対応を焦った結果、左chのもう1本の線まで同じように切ってしまった。

 万事休す、か…

 落胆したまま一、二日過ぎるうち、それなりに冷静さが戻り、この後のことを落ち着いて考えられるようになった。
 FIDELIXの中川さんからは、難しい作業なので一発OKは無理だろうからと、コイルは2セット送られてきていた。あっさり新しいコイルで最初からやり直すという選択肢もあり得る。ここまでの作業ではいくつか出来映えが残念な部分があったが、一通りの経験を積んだ今なら、最初からやり直せばそういうところもおそらくもっとうまく仕上げることができるだろう。
 それでもせっかくここまで苦労して積み上げてきた結果をみすみす捨て去ってしまうというのは、なんとも勿体なく情けない気分だ。やはりここまでの成果物そのものを引き継ぎたいという思いが勝る。なんとか切れたリード線を繋ぎ直すことができれば…

 リード線が切れたのは、2本とも同じような位置だ。コイルからカンチレバーを這ってきて、カンチレバーの根元の辺りでカンチレバーを離れてからすぐのところ。浮いている分は2mmとちょっとくらいだろうか。3mmまではなさそうだ。継ぎ足す代がかろうじてあるといえるギリギリのところである。
 しかし、こんな細い線どうしをハンダ付けで繋ぐなどということは、どうあがいても不可能に思える。2本くっつけておいてハンダを流せばいいのでは?と思う方もあろうかと思うが、現実の0.017mmの極細線は重く粘っこい金属の一滴に比べてあまりにも軽く頼りなく、ハンダが上手く絡むことなどとても期待できないのだ。

 そこまで考えて、一つの案が浮かんだ。0.017mm線どうしで無理でも、相手がもう少し太い線だったらなんとかなるのではないか?

 市場にあるエナメル線で、なるべく細くてほどほどの長さに小分けにして販売されているものを以前調べてみたことがあるが、0.05mmのUEWなら簡単に入手できる。太さはFIDELIXのコイルの線の約3倍だ。このくらいなら扱いやすさはだいぶましになるのではなかろうか。実はこの太さの線は、スタックスのアームの内部配線が切れてしまったときの修理に必要になるので、今回のこととは関係なしに将来に備えてそのうち買って持っていようと思ってもいた。よし、これでやってみることにしよう。左chだけ配線が太くなるのはあまり気分のよいものではないが、それで音に大きな影響が出るほどのこともないだろうし、もしやってみて繋げるのがそう難しくなかったら、思い切って右chも切って同様に繋ぎ直してもいい。やれることがあるなら諦める前にとにかくやってみるべ。

 そんなわけで、早速調達。20mボビン。こんな細線は残念ながら1m単位では売ってない。

 0.05mm線の実物は0.017mmとは比べ物にならないくらいフレンドリーだった。この太さだったらまだ人間が扱うものという感じが持てる。なにしろ肉眼でちゃんと見えるのだ。ちなみに日本人の髪の毛の太さは、細いほうの人で大体0.05mmくらいだそう。
 試しに0.05mmどうしでハンダ付けで繋いでみたが、大した苦労もなくうまくやれた。自由自在とはいかないまでも、一応コントロールが可能と言ってよいだろう。片側だけでもこの線なら、扱いが至難の線どうしを繋ぐのと較べれば難度は大幅に軽減されるはず。どうやら少しばかり光明が見えてきた。

6 極細線に準極細線を継ぎ足す

 ところで、この改造作業のフィナーレはリード線を出力ピンへの接続端子にハンダ付けして終了となるのだが、その端子もまたかなり小さく込み入っていて、普通のコテ先では太すぎて無理そうだ。そこで事前にこんなことを試してみた。

 LANケーブルの素線の被覆を剥いだ0.5mm銅線をハンダ鏝に巻きつけたのだ。正確には巻きつけた訳ではなくて、あらかじめ銅線を鏝より小さい径で螺旋形に巻いておいてから被せている。こうすれば銅線の螺旋が鏝を締め付けるので、簡単に抜け落ちることがない。銅線の先端をコテ先として使えば細かい部分のハンダ付けが容易になる、というアイディアだった。
 しかし、これも実際やってみると浅知恵であることが判明する。最初のうちはよかったのだが、10分もしたら銅線は鏝からハラリと抜け落ちてしまった。銅がハンダ鏝の熱で焼きなまされてバネ性が全然なくなり、鏝を締め付けていられなくなってしまうのだ。

 ということで代用コテ先などという小手先のアイディアはあえなくポシャってしまったので、潔く先端が細く尖ったコテ先を新規に調達することにした。愛用しているこのハンダ鏝EH-520のメーカー、エディスン・インターナショナルはもうだいぶ前になくなったようだが、OEM供給元だったデンオン機器という会社からSS-8200という型番で事実上同じハンダ鏝が今でも販売されており、多様なオプションのコテ先も手に入ることが分かった。
 ラインナップ中最も先の尖ったものを探すと、先端の球面半径が0.25mmというのがあったので、これを発注。0.5mm銅線の先っぽと同等だ。

 ちゃんとしたコテ先なので当たり前だが、銅線より全然しっかりしている。先端の円錐部分の根元の径は3mm。見るからに細く、繊細な作業がこなせそう。もっとも、0.5mmでも線径0.017mmからすれば30倍にもなる訳で、実際のところ顕微鏡で覗くと繊細感なんて全くない。

 ちなみに、使うハンダは手持ちのKESTER44のSn62/Pb38、0.63mm径のもので、所謂“共晶ハンダ”である。共晶ハンダとはSn62または63のものを指すようで、融点と凝固点が同じという特性から半溶融状態がほとんどないため、仕上がりが綺麗で、しかも融点が低く使いやすい。他にもSn63/Pb37の1mm径のものを持っていて、私が金田式アンプを作るときはほとんどそれを使っていた。今回のような作業には当然ながらできるだけ細いものが望ましい。もっと細い共晶タイプが手に入らないかと探してもみたのだが、Amazonで0.2mm径のものが見つかったものの残念ながら現在は買えなくなっていた。そんなわけで、仕方なく手持ちの細いほうで妥協する次第。

 さて、そういうことで、想定していた本来のタイミングよりも早い段階で、想定していなかった用途にこのコテ先が活躍する場面がやってきた訳だ。

 では、左chリード線の再建手術を始めよう。
 まずは0.05mm線を2cmほどに2本切って、コイルからの線とうまく繋がるように、カンチレバーベースの背に接着剤で仮留め程度に固定する。そして接続部分が触れ合うように線の浮いている部分の位置を調整。そうしておいて接続点にハンダと鏝をチョンと触れさせて接続完了…とうまく行けばいいのだけれど、この作業、やってみるとそんな簡単なことでは全然ない。
 0.05mm線はそんなでもないのだが、やはり0.017mm線のほうは軽くて柔らか過ぎて、おまけに癖が強い。重く粘っこいハンダに簡単に押し退けられてしまい、なかなか2本の線がハンダでまとまってくれないのだ。微小世界ではハンダの表面張力の現れ方が、普段見ているそれとは違って見える。溶けたハンダはコテの先端よりも少し元のほうに寄った側面に集まってしまう感じで、あてにしていた極細のコテ先も先端部分の細さが十分に生かせない。なんとかくっついたかと思っても、爪楊枝でちょっと触ってみたらイモハンダなのが露呈したりで、とにかくひたすら難しいのだった。

 ぶっ続けでは身も心も保たないので、ときどき休憩を入れてリフレッシュしつつ、試行錯誤を繰り返すこと約2時間、ついにグランド側が繋がった。ただ、ハンダに仕込まれたフラックスの量がたまたま少し多くなっている部分に当たったようで、弾け飛んだフラックスがリード線の接続部分とその前後にくっついて固まってしまった。
 通常サイズのハンダ付けなら大して気になるほどのことではないだろうが、この微小世界の感覚では「ドバッ!」な量のフラックス塊が線にまとわりついている状態で、非常に見苦しいし、音にもいいことはないだろう。普通なら綿棒にエタノールを染ませて拭い取るところだが、こんな繊細な構造ではとてもそんな荒技は使えない。もう一度コテを当てて熱すればフラックスは流れるだろうが、やっとのことで接続できたのが熱で再び外れるであろうことは目に見えている。そうなると次はいつ繋げられるか判らない。よくよく観察すると、フラックスの塊がカンチレバーの自由な動きを妨げている訳でもなさそうなので、ここはそのままにして先へ進もう。

 ホット側もほどなく繋げることに成功。周囲の空間に余裕があっていくぶんやり易かったこともあるが、フラックスがたまたまうまく働いてスムーズに事が運んだ。うまくいくかどうかのかなりの部分を偶然に頼っているような状況で、コントロールできている感がほとんど持てない。簡単にできるようなら右chのほうも0.05mm線をつなぎ直して同じ状態にしてやろうかと思っていた訳だが、これは大人しく撤退するのが賢明だな。

 本当にちゃんと繋げられたかどうか確認したい。表面が絶縁された0.05mmの線にテスターを当てても通電しないので、リード線の先を基板の端切れにハンダ付けして測る。

 ランドにテスターのテスト棒を当てると、ちゃんと導通があった! はあぁー、ついに息を吹き返したぞぉー\(^o^)/

 かくして、太さは左右不揃いになってしまったが、出力を取り出す4本のリード線がやっとのことで整ったのだった。これで再び見出しを本来の作業手順に戻せる、よかったよかった。

7 コイルからのリード線を出力端子に接続する

 いよいよカンチレバー部を本体に合体させる。

 コイルとリード線を傷めないよう注意してベースを定位置に置く。そして、コイルが磁気ギャップ内をどこにも触れずに綺麗に動くよう調整しながらネジを締めた。

 目分量でやったコイルのカンチレバーへの固定角度はほぼピッタリだったのでひと安心。前方から見ても、カンチレバーが沈んだときにコイルの発電部分がギャップに差し掛かるタイミングが左右揃っている。我ながらなかなかいい線行っているのではないかな。

 カンチレバーユニットが本来の場所に戻り、あとはリード線を出力ピンに繋がる端子にハンダ付けするだけだ。4つの端子は小さく狭いところに密集していて、極細線ゆえの難しさもあるが、それでも線どうしを繋ぐのに較べればずっとラクである。なにしろ端子はフラフラ動かないし、小さいと言ってもコントロールできる分量のハンダを乗せられる。

 本来の0.017mm線のままの右chのほうから取りかかる。なかなか言うことを聞かない線を適度に余裕を持たせながら端子のところまで導き、浮かないように押さえておいてハンダをチョン。もっとハンダが細けりゃなあ、とは思いながらも難なく完了。ホット側も同様に終え、右ch出来上がり。

 ここで導通の最終確認。右の出力ピン間の抵抗値をテスターで測ってみると…

 妥当な数値である。よかった、ちゃんと導通していた。これで右はもう完成だ。よーし、左chもやっつけよう。

 左は線が太くなったおかげで作業がより容易なので、滞りなく完了。抵抗値を測るとこちらは4Ωと出た(爆)。断面積が約9倍だから抵抗が小さいのは当然だが、思った以上だった。見た目はともかく電気的に左右アンバランスなのは少々気になるところだが、LIRICOの1GΩ受けで使用する分には、左右の出力抵抗に1.5Ω程度の違いがあったところで全く問題にならないはずだ。うんと低いインピーダンスで受けたら左右でレベル差が出るかもしれないが、うちではそういう使い方はまずしないので大丈夫。

 こうしてついに全ての工程が完了した。

8 聴いてみる

 やっとこのときが来たのだな。いや、長かった…

 でも、終わったことを寂しく感じる気持ちも少し。

 まあ眺めていてもしょうがない、音を聴こう。
 針圧を整えて、と…

 ここで針圧計SH-50P1は問題がありそうなことに気づいた。カートリッジが近づいたとき、メーターが0点から負側に振れるではないか。MC-L1000の強力なマグネットの磁力がアナログのメーターを動かしてしまうらしい。針を測定ポイントに置けば一応メーターは働くが、指し示す値が正しい保証はない。
 まあとりあえずカートリッジを測定状態に近い位置に持ってきておいて校正用ウエイトの1.5gでメーターを合わせておけば、MC-L1000の標準針圧1.5gに限っては0点に関係なく正確に測れるはずだから、とりあえず使えなくはない。が、結局Shureのシーソー式で測り直した。

 話が逸れた。レコードをかけよう。はたしてちゃんと音は出るのか…

 盤に針を下ろし緊張しつつボリュームを回すと、かすかなスクラッチノイズに続いて無事左右のスピーカーから音楽が流れてきた。ホッとしながらも意識は全身耳状態。

 …そうか、こんな音が入っていたのか。

 なんとも晴れやかでスムーズ、情報量の多いこと。澄んだ人の声に舌の動きが、空間に広がるピアノの残響に響板が震える様が、都度見えたような気がしてしまうニュアンスの豊かさよ。

 軽やかで繊細な描写はまさに空芯型ならではだが、同時に全体として充実した厚みが感じられるのは一般的な空芯のイメージを良いほうに裏切る。繊細で素直な音の出方はオリジナルのMC-L1000にも感じられたが、これには更にどっしりした力強さがある。フレミング右手の法則の説明図そのままの発電の仕組みによるものか、いかにもスタイラスの振動が細大漏らさずダイレクトに音楽信号に変換されていそうな音…などと思うのは構造を知っているせいではあるが、理屈はさて置きこれは本当に文字通り素“晴”らしい音だ。いやー、苦労した甲斐がありました。よかったなぁ、ここまで来られて。

 出力電圧レベルは、公称0.22mV(1kHz,5cm/sec)のオリジナルMC-L1000よりも少し低く感じるので、0.18mVとかそのあたりかと思われる。プリントでなく線を巻いたホンモノの微小コイルによる出力として十分立派と言ってよいと思う。

 

 というわけで、だいぶ苦労はしましたが、どうにかプロジェクトを完遂することができました。とても貴重な経験になったと思います。出来上がりには納得していますが、仕事の出来としては、リード線の切断という痛恨のミスを始め心残りな点がいくつかあったので、自己採点するなら精々40点くらいの気分です。次の機会にはこの反省を生かして、より完成度高く仕上げたいものです。
 久々にとても充実した時間を過ごすことができ、なんだか一層アナログが楽しくなってしまいました。これもmilonさんの導きと励まし、そして中川さんのコイルのおかげですね。この場で改めて御礼申し上げます。

以上、プロジェクトF 完了。