1.宗教や神秘思想は一体どれが正しいのですか (01.06.23)
この問題は重いので、何度かに分けて回答致します。
世の中には多種多様の宗教や宗教的な思想があります。これら全てを勉強することは普通の人には無理でしょう。ですから、人々は誰でも、自分自身の限られた知識の範囲の中で、これが正しい、いやあれが正しいと言っているにすぎません。つまり、本当は誰にも答えは分からないのかもしれません。
また、宗教と一口に言いましても、様々な種類の宗教があります。御利益をお願いするだけの宗教もあれば、難しい学問をする宗教もあり、中には命懸けの修行をする宗教もあります。
こうした多種多様のものを一口で論じることはとてもできないことです。たとえば、御利益を祈るだけの宗教の場合は、御利益があるか否かだけが宗教の価値となりますので、難しい哲学はどうでもよいこととなります。このような宗教は、難しい宗教からは価値の低い宗教と呼ばれますが、御利益だけで良い人達にとっては、どんなに偉そうなことを言っても、御利益のない宗教よりは、正しい宗教ということになります。
この『正しい』ということですが、どのような事が正しいのかをまず先に考えなければなりません。
たとえば、宗教の説く教えが人生の指導原理として正しいのかどうかを考えるのか、あるいは、宗教の多くが肯定している、死後の世界や神仏の実在をも含めてどれが正しいのかを考えるのか、こうした点によっても、『正しいとは』ということの意味が違ってきます。
したがいまして、人生の指導原理としての教えの善し悪し、正しい間違い、を決めるのは実は簡単な事ではないのです。
たとえば、心に残るような深い教えを説く宗教が正しい、と思う人もいらっしゃると思います。ですが、そう決め付けることはできません。なぜかと言いますと、神や仏、あるいは死後の世界が実在しているのかどうかによって、教えの内容が違ってしまうからです。
死後の世界を考えずに宗教の教えを考えるのであれば、たとえば、受験なら受験という事に対して、いくつかの宗教の考え方を並べて、こっちが良い、あっちが良いと、論じる事は可能でしょう。
ですが、死後の世界を考えた場合は、そんなに簡単ではないのです。死後の世界はどうなっているのか、または、人の行為が死後の世界に入る時にどんな風に影響するのか、それによって、生き方の考え方自体も異なってくるからです。
「死ねば終わり」を前提として、「左へ行くべきだと」と思われた事も、「次の世界がある」という事ならば、「右へ行った方が良い」という事になってしまうからです。
したがいまして、死ねば終わりだと考える宗教は、御利益や人生の指導原理に関して、その善し悪しを考えることになりますが、死後の世界のような神秘的な世界を認める宗教や思想に関しては、神秘的な事柄について、正しい考えを持っているのかどうかが、正しいかどうかの重要なポイントになってくるのです。
もちろん、実際に、死後の世界があれば、それがないという宗教は正しい宗教ではない、ということが言えますし、その反対に、死後の世界がなければ、それを実在するとして教えを説いている宗教は、死に対する精神的な慰めにはなっても、本当は正しくないということになります。
ですから、宗教や神秘思想を語るには、死後の世界を初めとする、神秘についての考察がまず必要になるのです。