(01.06.06)



 人間が単なる物質ではなく、霊的生命体である、と考える人達にとって、これからの時代、何が一番大切なのでしょうか。

 これまで、人類は、霊的な世界のことを、主に宗教の世界から学んできました。霊的なことは、宗教家でなければ、祈祷師や霊能力者と呼ばれる人達から学ぶしかなかったのです。

 ところが、ここ百数十年の間に、心霊現象について科学的に研究しようとする人達が現れ、人々はより客観的な目を養うことができるようになりました。

 さらに、インドのヨーガや神秘主義の台頭で、深い哲学を有する人達も増えるようになりました。

 ところが、心霊科学は、霊媒の不足等により、実験が思うように先へ進まず、また、本格的なヨーガも、忙しいビジネス社会には全く適応できなかったようです。瞑想が深まる程に、その意識は社会人としての意識と融合せず、ビジネス社会から離脱する人達が増えました。その上、諸々のことがあって、出家主義は社会から異端視される結果となりました。

 ついに、時代は逆行し、今は、神秘や宗教を語る人達は肩身が狭い時代になっています。

 このまま、世の中の片隅に追いやられて萎んでしまうしかないのでしょうか。そうならないためにも、私達は努力しなければなりません。

 さて、今後、霊的な考えを持つ人達は、一体何を目指すべきなのでしょうか。

 師はこうおっしゃいました。

 「これからは霊的な技法を世に広めねばならない。今後、いかに深遠な思想が現れようと、大勢の人々はそれが完全に理解できるわけではない。哲学者同士の議論がどうであれ、それは、仕事に追われた忙しい現代の人達には雲の上の議論でしかない。ましてや、教育が行き届かない国家の人々には全く無価値である。

 そうした現実の中で、世界を一思想が統一しうるとすれば、それは、人々の自由意思を無視した押しつけや、過剰な宣伝などによるものであり、理性による選択ではない。

 なせなら、あらゆる思想は絶対ではないからである。霊魂や神を科学的に証明し得ない限り、神秘思想は絶対性を持つことはない。必ず、反論を生み、議論は終わることがない。

 たとえば、生まれ変わりはあるのかないのか、あるいは、生まれ変わるとしても、人は動物に生まれることがあるのか否か、こうした問題を千年議論しても、決して相手が納得することはない。

 そのため、どんなに高度な思想も、世界中の全員を理性的に納得させることはできないのである。

 結果、思想は理想的な生き方を示すことはあるが、霊的な進歩をもたらすには至らないのである。

 よって、本当に必要なのは、人々を霊的な進歩に導く確実な技法である。技法を実習することにより、それぞれの人がそれぞれの内部で霊的な確信を持ち、確実に霊的変革を行なう、これが最も大切である。

 神霊の御心は 一救世主による思想的な救いではなく、個々が技法を実習することにより、自分でカルマを絶つことなのである。

 もちろん、それとて、世界中の全ての人達が関心を持つことなどありえない。

 だからこそ、『求めよ、さらば与えられん。』なのである。人は救われる自由もそうでない自由も持っている。」



解説
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思想は大切ですが、常に対立し新たなる憎悪を生み出します。できれば、世界中に霊的な技法を実習する人達が現れればよいのに、と思うのでした。