三条西実隆は室町時代、最高の文化人と仰がれ後土御門、後柏原天皇、室町幕府とも信任が厚かっ
た。「源氏物語」の研究「源氏物語細流抄」を著し和学の興隆をはかり古典の収集、保存に尽くした。
和歌、連歌では右に出るものが居ない。公家で内大臣。歌道、書道、香道に堪能な学者で各界を指導し
た、その門下から武野紹鴎はじめ優秀な人材を輩出した。能登守護畠山義総、円山梅雪等から仰慕され
地方文化発展に大きな影響を与えた。特に文明6年(1474年)から天文5年(1536年)約60
年間にわたる日記「三条西実隆公記」は歴史資料としてあまりにも有名である。
○ 大永八年(享禄元年)二月二十九日(1528年)
能登から上洛中の歌人「岩山道堅」から伝え聞いた梅雪、所望の消息と和歌を書いた。
○ 大永八年三月二十七日
道堅が明後日能登に下向するので梅雪所望の色紙四枚と和歌を書いて渡す。
○ 享禄二年二月十三日(1529年)
能登の山伏が明日帰るので準備していた物を入れた箱を渡した。
箱に入れたもの
大守 返事 麟形硯一面(入袋、武野所進也。) ※大守 義総
半隠 扇 書状 ※半隠 飯川半隠斉宗春
道堅 唐墨一廷 武野所進 ※道堅 武家歌人 岩山道堅
宗碵 扇 ※宗碩 連歌師
宗階 黄金一両、ヨハシ、午黄円二貝、百人一首色紙 大守所用賦宗碩所望
梅雪息 詩歌
林泉長老 イロハ 二 カハル 一 題 十首
○ 享禄三年三月二十二日(1530年)
梅雪の使者と宗碩が実隆邸に来て銭三千疋を贈る。
○ 天文二年(1533年)
実隆公記紙背文書
梅雪の部下、伊藤が公用銭を進上する事について実隆と話し合った。「御抄物」を調える。
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